眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『アメリカン・ハッスル』をみる

監督はデヴィッド・O・ラッセル。脚本はラッセルとエリック・ウォーレン・シンガー。2013年のアメリカ映画。

詐欺の話かと思ったら違った。詐欺師が主人公だが、捕まりそうになって、罪を逃れるために、政治家にわいろを送って逮捕させるという話を段取り立てて実行に移す…。FBIが悪人(とは言い切れないところがこの作品のポイントのひとつだが)逮捕のためにとる作戦を詐欺とは言わないだろう。

主人公のクリスチャン・ベイルはやりたくないことをいやいややっているだけなので、常に面白くなさそうな顔をしている。しかし倦怠感あふれる感じがエロティックといってもいい。クリーニング屋のレールの中で一人佇んでる場面の茫然とした感じ。彼の愛人であるエイミー・アダムスは、ベイルとFBIのブラッドリー・クーパーの間で微妙なかけひきをするはめになり、それが本当なのか嘘なのかみる側に判然としないのがハラハラさせるが、元をただせばベイルの妻=ジェニファー・ローレンスに対する嫉妬があったりして、しかしベイルは妻に頭上がらず、心神喪失状態のローレンスはローレンスで全てお見通しな風情漂わせ、夫にかみつき、愛人にかみつき、かと思うと泣きべそで同情をひいて周囲を引っ掻き廻す。詐欺師とイカレ気味の人たちが主人公であり、彼らの性格や行動が絡まりあうことで話が進んでいき、その行方の混乱ぶり、彼らがどう転んでいくのかが読めない展開、というところが面白いのであって、話そのものには面白味は薄いと思うのである。終盤でベイルが本気を出し始めると、映画を終わらせるために無理矢理、話を作っている感じすらした。せっかくのとぼけた面白さが減退していく。ああいうところに、ラッセルの根の真面目さが出てしまうのかもしれない。

世界にひとつのプレイブック』もそうだったけれど、今回も会話劇といっていい台詞の多さ、しつこく念の入った登場人物の設定、それを生かす俳優の芝居、というラッセル節健在。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』と同じく詐欺師の話で、音楽が言葉以上に物を言う作り方が徹底されている。曲になじみのない人間はおいてけぼりになってしまうのだが、そういう意味ではこの作品を本当に愉しめるのはアメリカ人だけ、ということになるだろう。英語が判れば歌詞の意味も判るだろうが、なじみのない曲では面白味は半減するから(でも『死ぬのは奴らだ』だけは笑った)。だからといって退屈な映画なわけではない。こういうだらだらとしたやりとりが続く映画には元々弱くて、にやにやしながらみてしまう。ローレンスのパツンパツンの盛り上がった肉体の迫力もいいけれど、エイミー・アダムスの少しゆるんだ体のライン、エロっぷりがまたいいんですよ。おっさん連中にはエロ目線でみてもらいたい。アカデミー賞では脚本賞あたり獲りそうだな。

アメリカでは普通に娯楽映画として成立するかもしれないが、日本ではミニシアター系で公開されるタイプの映画じゃないのかなあ。ラストで大逆転!みたいなものを期待すると裏切られる。宣伝はそういう売り方をしているから、期待しない方が無理なんだけど。