『いつかギラギラする日』をみる
監督は深作欣二。1992年の作品。
BS-TBSで放送していたのであわてて録画。久しぶりにみた。
公開時、期待してみにいったが、どうにも微妙だな…という感想しか持てなかった。台詞が臭い、芝居が臭い、特に木村一八と荻野目慶子の芝居が酷過ぎる、いくらなんであんな人たち、いまどきいないだろうと。22年前はあの芝居で良かったと思う若い人ももしかしたらいるかもしれないけれど、あれは当時からおかしかった。あの時点で古臭かったのだ。が、もう遠い過去のことだ。92年という製作年度も、70年代とさして変わりはしない。「昔の映画」ということでざっくりと括ってしまえば、差は意識するほどのことはない。当時不満に思った、古さや臭さは過去のものとなり、時間経過がフィルターとなって、映画の言わんとする純粋な部分が透けて受け取れるようになるのだと、今更ながら知った。
そうしてみると、こんなに面白い映画だったか、と再発見したような驚きがあり、不明を恥じるしかない。なによりもテンポが良すぎることこのうえなし。ほぼノンストップといっていいほど、軽快に進む。しんみりした場面でもウェットではないので、しみったれた感じにならない。クールかつドライ。簡潔な描写の中に仲間への信頼と愛情がにじむ。ショーケンが千葉真一に「おっさん、死に場所はどこがいい」という場面。アップどころか映像は俯瞰のままだ。顔なんか全然映ってやしない。ドラマとして大切な台詞を客観的に撮る勇気がなければ、ハードさもかっこよさもうまれやしない。
若者二人の部分がゆっくりとした描写になるが、これとて、深作欣二の若者への愛情表現が丸出しになった素晴らしい場面ではないかと、ぐっとくるものがあった。後の『バトル・ロワイヤル』にも繋がっていく視線だ(深作欣二の映画は、基本的に青春映画の苦さを含んでいるんだろう。『仁義なき戦い』だってそういう視点に立ってみることが出来る)。暴走時の騒々しさとは打って変わった繊細な表情、大人の理屈でみるとみえない、彼らの純粋さ、まっすぐさが表れる。ショーケン目線で進んできたプロフェッショナルギャングの話が、無軌道だが純粋な若者の物語にも広がって、双方がぶつかるドラマは、実は敵味方の壁がなくなっている。対立の構図が崩れ、ふたつの流れが実は同じものだったと気付くとき、戦いの決着の末に、映画が標的とする真の敵の姿も明確にみえる。無論、当時も見えていた。だが、今はよりそのメッセージは鮮明だ。深作欣二が生きていたら、平成26年をどう思うだろう。きっと怒ってるだろうな。
地上波テレビは新作と、人気作と、話題作しか放送されなくなった。作品の幅が狭いのだ。一方、民放BSには、のんびりとテレビで映画をみる、という楽しみがまだ残っている。2月中には『大脱走』『金環食』『夜叉』『コップランド』『愛情物語』『レジェンド・オブ・メキシコ デスペラード』『ユー・ガット・メール』『ペリカン文書』『明日に向って撃て!』『その男、凶暴につき』『特別な一日』『オズの魔法使』『少林寺三十六房』など、地上波ゴールデン、プライム枠では、おそらく二度と放送されないものばかりが放送される。これからのラインアップにも期待したいね。
追記:えらそうに「おっさん、死に場所はどこがいい」は俯瞰の映像などと書いているが、台詞は「おっさん、ゆっくり眠るのはどこがいい」だし、ショーケンは思い切りアップだった。「おっさん。いいギャングだった」という場面は確かに俯瞰だが。まあ、そういうふうに見えていた、ということで勘弁していただきたい。