眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

死霊館 感想

季節には少し早いですが、毎年恒例、夏のホラー映画まつりを開催したいと思います。毎回、2、3本のホラー映画をみて終了してしまいますが、今年はたっぷりやりたい!と意気込みだけは充分です。第1夜は「死霊館」です。



監督はジェームズ・ワン。2013年のアメリカ映画。

実話に基づく映画という触れ込み。実在する心霊研究家エド・ウォーレン(パトリック・ウィルソン)と、霊視能力者ロレイン(ヴェラ・ファーミガ)の夫婦が、一家惨殺をもくろむ邪悪な魔女にとりつかれた家族を助けるために奔走する。

感想
前半、田舎の古びた一軒家に引っ越してきた家族が、奇怪な現象に悩まされる辺りは、大変正統派のホラー映画。家に入りたがらない飼い犬が死ぬ、鳥が窓にぶつかってきて死ぬ、寝ていると誰かが足を引っ張る、かくれんぼをすると、誰もいないところから手を叩く音がする…と、VFXや特殊メイクなどを駆使した派手な何かが起きることもなく、ただただ地味な現象が描かれる。決定的な描写となるのは、クローゼットの上にうずくまっていた不気味な老婆が、とびかかってくるところくらいだろう。それ以外は、怪奇現象が起きても、気のせいかな?と思う程度のことだけ、あとは暗いだけ、静かなだけ。が、それがとてもいいのである。

ホラー映画って、結局、余計なことはしないほうがいいのではないだろうか。暗い場所や静かな時間の持つ恐怖感や違和感は、おそらく誰しもが抱くことであり、それを丁寧に描くだけで充分に観客は、自分の日常の中の不気味さをそこに重ねられるのではないだろうか。映画が後半になると、心霊ハンターたちが悪魔祓いをするといった展開になっていき、低予算映画なりに派手な見せ場も連続するようになると、地味ゆえのリアリティは薄れてしまう。娯楽映画へとシフトすることで、自分の身近にある恐怖とは違う次元の映画になっていく。これは個人的な好みの問題でもあるのだが、どうして面白い映画にしようとするのだろうか、それが疑問なのである。不気味なだけの映画でいいと思うのである。不穏な気配だけで充分だと。それだけでホラー映画足り得ると。西洋との文化の違い(「この現象の正体は悪魔です」と言い切っても、欧米の観客は笑わないだろう)以上に、恐ろしいと感じるものの差があるし、面白いと思うものの差もあるようだ。ただ、日本人でもこの映画を恐ろしいと思って見る人はたくさんいるだろうから、この不満は、極めて個人的なものであることは判っているつもりだ。しかし、霊的な物は、そこに存在していること自体が怖いのであって、襲ってくるから怖いのではないと思うのだがな。

心霊(幽霊)ハンターを主人公とし、悪魔祓いや霊視(字幕では透視と出るが、透視と言われると物が透けて見える力を思い出す世代としては、違和感があると思う)などにも、作り手が決して疑いを持ち込まない姿勢の映画は、絶対的なヒーロー映画のようなものである。ホラーにそういうものを期待し楽しめる人たちには、申し分のない作品に仕上がっていると思う。

ただ物語には、家の歴史と近隣で起きた死亡事件に関係があることが判ってくる辺り、何かを示唆するようにローリー少年やその母親やメイドといった霊が現れ、徐々に核心に近づいていく展開には、ミステリ的な興趣があって面白かった。

それにしても、魔女バスシーバが、セイラム事件の公判中に死亡したメアリー・タウン・イースティの親戚というのは驚いた。これも事実なのか、それとも創作なのか。魔女裁判にかけられた人たちは、本当に悪魔憑きだったわけではない。が、心霊研究家はこれ(悪魔憑き)を事実と見ているのだろうか。悪魔に憑かれた人の親戚なら、魔女になる可能性も高いというのか。それとも魔女裁判は、人の引き起こした悲劇だったが、バスシーバはそれに影響を受けて、自ら魔女になったということなのだろうか。事実ならばその因縁が恐ろしいし、創作ならばその物語の組み立て方が恐ろしい。魔女裁判という事実を平然とフィクションに盛り込んでくる大胆さと、その咀嚼ぶりの凄さが。因みにセイラムの魔女裁判は、アーサー・ミラーによって、赤狩り魔女裁判を重ねた「るつぼ」として戯曲化され、後年、ニコラス・ハイトナー監督による「クルーシブル」として映画化されている。ヒステリックに凶暴化していく人の心理を描いた、二度と見たくない、気の滅入る恐ろしい映画だった。

呪いに取り憑かれた一家の母親をリリ・テイラーが演じていて、さすがの力演。一家の娘たちが皆可愛らしく美しいところもいいのだが、周囲にひと気のない一軒家に、美少女姉妹が5人。それだけでも独特の空気が生まれている。ついつい「ヴァージン・スーサイズ」や「白い肌の異常な夜」などをそこに重ねてしまうせいで、余計に不気味に感じられるのも、また一興。三女のクリスティーンをジョーイ・キングが演じている。