眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

ライト/オフ 感想

夏のホラー映画まつり第2夜。

監督は、デヴィッド・F・サンドバーグ。脚本は、エリック・ハイセラー。撮影は、マーク・スパイサー。2016年のアメリカ映画。

出演
テリーサ・パーマー(レベッカ)
ガブリエル・ベイトマン(マーティン)
ビリー・バーク(ポール)
マリア・ベロ(ソフィー)
ロッタ・ロステン

元になっているのは、サンドバーグが2013年に制作した3分程度の短編。主役は、サンドバーグの妻のロッタ・ロステン。

感想
大きな倉庫らしき場所。退勤しようとした女性(ロッタ・ロステン再び!)が、室内の電気を消すと、人影のようなものがみえる。灯りを点けると人影が消える。一体何か確かめようと、点ける、消すを繰り返していると、突然、影が近くに接近している!というオープニングがとにかくびっくりさせる。いわば「だるまさんがころんだ」と同じ。灯りが消えると影が見える、灯りを点けると影が消える。もう一度灯りが消えると、さっきよりも影がこちらに近づいているのが見える。あやしいものがずっと見えていて、それがじわじわと近づいてくるのも怖いけれど、見えない間に想像以上に接近されている、という感覚がゾッとさせる。知らないうちに、というのがポイント。映画としては、恐怖の存在が接近してくるということの繰り返しになりそうなところだが、緊迫感に満ちた展開で、最後まで飽きさせない。

以下、結末にも触れています。


その倉庫の責任者である男性は、影に襲われて死亡。残された妻ソフィーと、息子のマーティン。だがソフィーは抗うつ剤が手放せない状態にあり、授業中に居眠りの続くマーティンの様子をみたカウンセラーから、姉のレベッカに連絡がある。レベッカは、母の状態が悪いのを見て取ると、マーティンを自分の家へ連れ帰るが、その夜、室内に怪しい影をみる。影は、爪で床に傷をつけていた。「ダイアナ」と…。ソフィーが少女の頃、入院した先で知り合ったダイアナという少女は、人の頭に入り込み操ることが出来るという特殊な力を持っていた。そのときから、ソフィーはずっと、ダイアナの親友だと刷り込まれ続け、ダイアナがいなくなってからもその存在から離れられないでいたのだ…。と言った話になっていく。病院の実験のせいでダイアナが死んでしまったというのも非常に身勝手で恐ろしい話だが、これがフィラデルフィア・エクスペリメント並みにSF的な実験のように見えるために、不必要なSF感が盛られていて、これは大変、個人的には好みです。死亡したのではなくて別の次元に飛ばされたのなら、もっと喜んだところだが、そういうわけではなかった。ちゃんとダイアナが死んでいるからこそ、ソフィーの決断というクライマックスになるわけで、徒に話の風呂敷を広げないところに節度を感じる。

脚本のエリック・ハイセラーは、「エルム街の悪夢」「ファイナル・デッドブリッジ」「遊星からの物体X ファーストコンタクト」などのホラー映画の脚本を手掛けているとはいえ、3分程度のショートフィルムから、よくぞここまで長編映画の形にしたものだと感心もさせられる。このあと、「メッセージ」を脚色(製作総指揮も)するとは思いもよらないことであるが、あれだけのものを書くだけにその力量の片鱗を、この作品にみても間違いではない。母と娘の物語という点で共通しているのは、おそらく偶然だろうが、愛憎の混じり合う「ライト/オフ」で描いたものが、「メッセージ」で全く意識されなかったはずがない。マーク・マクドナーの「セブン・サイコパス」が「スリー・ビルボード」の前哨戦であるように、「ライト/オフ」もまた「メッセージ」という傑作への前段であったと言えるだろう。

誰が誰を捨てたか、捨てるか、というのも物語の芯を支える部分。被害者意識と加害者意識を、母と娘の双方が持っているのはもちろん、夫に捨てられた、父に捨てられた、娘に捨てられた、親友を捨てた、母から逃げた…という、目まぐるしい負の連鎖が渦を成す。その渦の中心にいるのが、ダイアナという邪悪な存在であることで、ソフィーは結局、その始まりとなった彼女との関係を自ら断つことでしか、この渦を止められないと悟るのである。一種の自己犠牲とも言える決断には、偉大なるオカルト映画の傑作を思い出させるが、悲劇的という点でなんら劣ることのない悲しみをもたらす(演じるマリア・ベロは、劇中唯一の知名度のある俳優だろうが、疲れた表情に終始する中、ここでの決然とした芝居のメリハリがさすが)。一度は逃げ出した母のもとへ、助けるために向かっていく娘というクライマックスと、この後始末には、悲しみに満ちていても救いもある。後味の悪くないラストに落ち着いているのも、その作りに寄るところが大きい。

当たり前の話ではあるが、娯楽映画として、ホラー映画で期待する恐怖感の演出の点でも申し分なし。驚かせるタイミングや、突然の大音響などの定番演出もうまい。ダイアナとの微妙な距離感の捉え方も良かった。短編では、そこにいるだけだった影が、今回はこっちに走ってくるといった画作りになっていたりして、より怖さを増していた。また、残酷描写が極端に少ないことも素晴らしい。ダイアナが特異な病に冒されているという設定ゆえにグロテスクな姿になっているのは、少々無残で無慈悲な描写ではあるが、それ以外で特殊メイクがうなりをあげるような場面はなし。CGも極力抑えた使い方しかされていないだろう。予算の関係もあろうが、暗闇と、そこに浮かぶ人影だけで、これだけの盛り上がりを作り出せることが素晴らしいし、よく見せ切ったなと思う。タイトルクレジットとエンドクレジットを除くと、およそ1時間15、6分ほどの、長編映画としては少し短めなところがよかったのだろう。ワンアイディアを、無理して引き延ばさない潔さが功を奏した、という感じ。

撮影のマーク・スパイサーは、カメラオペレーターや第二班の撮影監督は多くあるようだが、本編の撮影監督としてクレジットされているものがほとんどない。しかしこの作品での、光と影の使い方はかなり優れていると思う。特にソフィー邸の、カーテンを閉め切っていて薄暗い室内の微妙な光の加減はなかなか見事で、どことなく70年代の映画の雰囲気もあった。もっと重用されていい撮影監督だと思うのだが。

ホラー映画は大体が低予算なので小品であることが多いのだが、その中でもまた小さな規模の作品という印象のある作品だが、粒の立った佳品と言ってよいのではなかろうか。