眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

サンテレビ 「仮面ライダー鎧武」 無事終了。

7/1(水)が最終回でした。

最初は、フルーツぅ?ダンスぅ?と、ぬるい設定に呆然とさせられても、話が進むうちにハードな様相を呈するようになると俄然面白くなってまいりました。光実がだんだんおかしくなっていく辺りから盛り上がりますね。

仮面ライダー同士で殺し合う、ということではどうしても「龍騎」を思い出すのだが、なんというか絶望の中にそれでも希望を見つけてそこへ向かっていくという点では、より前向きなドラマになっていたように思います。

戒斗が、一番強くなってその先に作りだそうとしている世界が、強い者が弱い者を虐げ搾取することのない世界だった、というのはなんとも泣かせるものがあり、単純に人の世を守ろうとする絋汰との闘いの意味が違うのに目指す先は同じようなもの、というのそのすれ違い方が切ない。世界を守るために修羅となるもの、世界を破壊するために悪鬼となるもの、それぞれの思惑の中での激闘は、さながら「デビルマン」のアーマゲドンを思い出させる烈しさと悲しみに満ち、実にドラマティックであった。

この物語に登場する若者たちには、親の存在が希薄だ。兄が、姉が親代わりという者や、家族を失った者もおり、親がいない、ということがこの戦いに加わった者たちに共通していた。新たな世界を作るとは、新たな世界の親になるということである。彼らは自分の手で運命を選んだようだが、既にその下地は用意されていたということなのだろう。

また、黄金の果実を手に入れたところで、始まりの女が、始まりの男の持つビジョンに共感出来なくとも、そこに幸福な世界は生まれるだろうか。否。だからこそ、最初から戒斗や光実と作る未来など、あるはずがなかったのだ。絋汰が選ばれるのは半ば必然であったということなのかもしれない。共に手を取り、対等な立場で作られる未来。過去にあった親の形とは違う形へ。それこそが新たな未来。だからこそ、彼らには親はいなかったのだ。古い世界の古い価値観を捨てるために。彼ら自身が、新たな世界の規範となるために。親の形を作るために。

予想外だったのは山口智充演じるところのDJサガラ。芸人さん起用は単なる賑やかし程度と思っていたら、思わぬ重要キャラクター。「フォーゼ」のアンガールズ・田中辺りと比較するとその出番はかなりの差がある。ある意味、最後の最後まで物語を混乱させるキーパーソンだった。

葛葉絋汰役の佐野岳は、かなりの量のアクションを自分でこなしていたのが凄かった。殴る蹴るといった基本のアクションだけでなく、壁を駆け昇ってバック宙みたいなアクロバティックな動き、敵に投げ飛ばされてすっとび、ぶっ倒れるみたいなところも自分で演じていたのには驚かされた。せっかくの身体能力の高さ、なんとか生かせる役にこれからも恵まれることを。

いやはや、こうして通してみるとやっぱり面白いものですね。「ドライブ」も早々にあきらめてしまったのだが、ちゃんと見た方がいいのかもね。またサンテレビKBS京都で放送されるのを楽しみに待つよ。同時に、次のライダーはちゃんと見ようと思います。