眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

七つまでは神のうち 感想

脚本・監督は三宅隆太。シネマート心斎橋にて。

ネタばれしています。



過去に何かがあり、それが原因でリストカットを繰り返している日南響子、小学生男子の家庭教師をしている藤本七海、ホラー映画の撮影中の女優・飛鳥凛。小学生の女の子とその母親・霧島えりか、計4つの物語が平行して描かれていく。てんで関係のない話のようにしか見えないが、やがてこれらは実はひとつの物語として結びついていく…。最初はサスペンス映画として見ていたのだが、次第に疑問に思う場面が増えてくるので、これはいったい…と思っていると、最後に至ってもどうもいまいちよくわからん、という結末に。勿論、霊的な存在がかかわっていることは明白ではあるのだが…。

おそらく見た人間の多くがまず疑問に思うのは、冒頭の日南響子とその父が、拉致された女性を乗せた車を追跡する場面だろう。どうしてもっと早く警察に連絡しないのか?前を行くワンボックスカーからドテっと女性が転がり落ちるのは偶然なのか?どうしてすぐに目隠しや後ろ手に縛られている紐を外してやらないのか?どうして父は車のナンバーを確認してくるなどという無謀な行動を取るのか?追跡中にナンバーの確認は出来るんじゃないか?普通に考えればありえないようなダメなドラマ展開である。完璧に観客を乗せ損ねている。後半で飛鳥凛が焼き殺されるところでも、あの火を放ったのは誰なのか(というかどこにいたのか)とか、藤本七海の胴体をぶっ貫く金属棒みたいなものは偶然落ちて来たようだが、そんな安い展開があっていいのか。

だが、この映画は一見サスペンス映画的でありながら、最後にはそうではないことが明かされるのである。霧島れいかたちが幽霊になって復讐していた、というオカルト的な結末。が、どうももやもやして納得がいかず、しばらく考えて出した結論は、これ、登場人物全員、とっくに死んでんじゃないの?ということだった。

1、そこに至って、思い出したのは『シックス・センス』。あの映画は、ラストで明かされるトリックのために、ひとつ大きな布石をうっている。それは『死んだことに気付かない霊は同じことを繰り返す』ということで、劇中さらりと語られる。これがこの『七つまでは神のうち』でも物語に取り込まれているのではないか、と。
2、冒頭を初め、偶然に頼り過ぎた安易とのそしりを受けかねない展開、簡単に観客に突っ込まれてしまうずさんにしか見えない登場人物たちの行動…ここまでやると映画の中の人物だけでなく、作り手に対しても非難が上がるほど。そこまでのリスクを冒してまで、観客を不快にさせるダメな展開となると、実は計算なのではないか、と疑いたくなる、つまり、そこには作り手の何らかの意図があるのではないか、と想像される。
3、霊の存在があまりにも現実に浸食し過ぎていることの違和感。霊に人が殺せるのか?呪いの類いではなく、バールみたいなもので殴り殺したり出来るのか?という、これまでのホラー映画の約束事を、映画を成立させるために安易に反故にしたかのような、そんな居心地の悪さ。霊の力が現実に、物理的な形で被害者に及ぶ、というのは感覚的にはありえないのだが…。

が、ぼうっとした頭で挙げ連ねたそれらの想像をひとつにまとめれると、全員とっくに死亡説、が浮かんできたのだった。殺す側も殺される側もどっちも霊であれば、それが可能なんじゃないか。ていうかそれしかないだろう。常識をはみ出した行動を取る主人公たちは、閉じられた世界にいる人たちで、そこは全ての登場人物を不幸にするために存在しているのだ。決して赦すことも、赦されることもない地獄を歩き続けねばならない。強烈な恨みを持つ者の意思と、自分を責めることで贖罪を願う者の意思により、常識的な行動は、全てが阻止される。双方のおぞましいまでのせめぎ合い、そして暗黙の了解とも言える世界の物語。それは完全に閉じた、おそらく永遠に繰り返されるループの中にあるんだろう。

それでもなお、疑問の残ることはいくつもあり、なのでこの考えが正解と思ってもいないのだが、それでも自分なりには納得出来る結論を見つけられたなと思う。

むろん、そういう部分に不満を抱えながらも、4つの話が次第にひとつになっていく過程はスリリングであり、霧島えりかのパートは、実は時間がずれているという叙述的なひっかけも面白く、決して娯楽映画としてつまらないというわけではない。衝撃の市松人形のくだりとか、びびりまくりだったし。だが、物語の作りに凝ったために、ストレートな娯楽映画としての面白さが失速してしまったことは否めないのではないか。え?なんで?という疑問と戸惑いが、面白さよりも先に来てしまう。高い志が裏目に出ている。言葉は悪いが、本末転倒、という感じだろうか。非常に惜しい映画だった。ありきたりなホラー映画を作るのは飽きた、ということもあるんだろうけど…。観客としてもそうだとは思うのだ。ならば、この手の映画はどこを目指していけばいいのだろうか…。