眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

コンテイジョン 感想

監督はスティーヴン・ソダーバーグ

オールスターキャストのスケールの大きな作品なのに、106分にタイトにまとめあげる、ソダーバーグの職人的手腕の見事さをまずは褒めたい。

感染2日目から一気に事態が悪化していく様子を描く一方、それに対処する側の様子を平行して描いていく。いらない部分は徹底的に省いて行く作劇の中で執拗に描かれるのは、感染を避けるためには直接・間接に限らず、人にも物にも接触してはならないということ。この描写の徹底ぶりはかなり強調されている。ウィルス感染によるパニック映画という体裁だが、その奥にあるのは「触れてはならないとすると、世界とどうやって繋がるのか?」という問いかけである。ふれあうことが、如何に生命活動において重要なことかということを、再認識させる映画なのである。描かんとするのはウィルスパニックが発生したら、という場合のシミュレーションではなく、コミュニケーションが断絶したら、という場合のシミュレーションではなかったか。

全体は淡々とした調子で進行し、冷ややかな雰囲気と世界中の多くの人間の活動を同時にとらえるパノラミックな展開で客観視し続ける。言わば状況を描くことに徹したドラマなのだが、終盤で「触れ合うこと」をポイントに据え、一気に、非常にエモーショナルな変化をする。自らの体でワクチンの実験をするジェニファー・イーリーは感染している父に触れキスをする。そしてローレンス・フィッシュバーンジョン・ホークス父子の握手がある。そこには不安をおぼえながらも相手と直接触れることで得られる、間違いなく繋がっている、という安堵感と温かみが描かれている。作り手の言わんとすることはそこにある。しかし一方でコミュニケーションが(直接的な触れ合いが)ないようで、ないなりの繋がりがあることをジュード・ローとネット社会という形で描いているのも面白かった。ウィルスの伝播、感染、とネットのそれとが重ねられているのも巧みな構成だった。サスペンス映画、パニック映画、という先入観と期待で観てしまうと物足りなさが残るかもしれないが、多くの人が極限状況で揺さぶられる人生ドラマと思ってみると、思わぬ感動が(人によっては)待っている可能性もある。

ソダーバーグは『トラフィック』を撮った人だったことを思い出させる作品だ。見応えがあった。あと、香港のシーンにジョシー・ホーがちょっとだけ出ているのが嬉しかった。