眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

リアル・スティール 感想

監督/ショーン・レヴィ

ロボットが地面を踏み、相手をぶん殴り、蹴り、ぶっ倒れてまた起き上がる。ズシンと体が揺れるような音響と派手なアクションが映画を見る快感とはこういうものだ、と感じさせる文句なしの娯楽作。映画館の大きなスクリーンで観るのが愉しい。最近のアクション映画にありがちな、短いカットの目まぐるしい繋ぎで観客の動体視力に挑戦するようなことをしていないのが、愉しい娯楽映画、と感じさせた最大の理由の様な気がする。動きが速過ぎると、結局何をしているのかが判らないままで、ストレスがたまるばっかりということを、ようやくハリウッド映画も思い出したのかもしれない。特にクライマックスは、手振り(?)するヒュー・ジャックマンの姿を入れる編集のタイミングも抜群で、これは燃えること間違いなし。

ラストシーンで、何やらモゴモゴ言いだした父親に、息子が「秘密にしとくよ」というのだが、観客の多くも不思議に思ったみたいで、なんか可笑しい。色んな意見があるようだけれども『実は本当の父子ではない説を取りたい。ジャックマンは都合3度、息子の年齢を間違えている。というよりも確認している感じ?自分の計算と合わないんだろうし、ジャックマンの、かつての嫁に対する姿があまりにもそっけないのも気になった。その死を悼む様子も、それほどのこともない。不思議だなあ、と見ている途中で思っていたんだけど、最後のあのセリフはそういうことなんだな、と。おれたち本当の親子じゃないけどさ、と言おうとして、息子が、わかってるよ、と言ってるんじゃないの。本当の絆ってのは血のつながりとは関係ないんだ』と。

また、ATOMが父と息子、それぞれにとって鏡の役割を果たしているのも興味深く(捨てられていたロボット=息子、ボクシング=父)、そんな彼が試合の前に鏡を見つめている(ように見える)姿も何やら意味深で面白い。彼は何を考えているのだろう?言葉を理解することも出来るのだろうか?父はロボットを通して息子を、息子は父を思う。そのやりとりの間に存在するロボットは、たとえ無機的なものであったとしても、人の感情の上では言葉を理解出来ているととらえていいように思いましたね。理屈はどうでもいい。あいつは言葉が判るよ。これでいいじゃないか、と。

本当にそこにいるようにしか見えないロボットの実在感も見事なもので、VFXって何処までも進化していくなあとため息をつく(『トランスフォーマー』は一本も見ていないので余計にそう思う)。久々に、特撮映画の愉しさ、というのも感じてしまった。

特撮をCGで表現するのは、もはや常識ではある。しかしながらひとつの画面の中の全てがCGみたいな映画をみていると(例えば「アイ、ロボット」のような映画)、それはアニメーションではないのか?と不満になる。古い人間なのでどうしても、この気持ちはぬぐえない。この作品では、画面の中でロボットのみがCGという作り方がされていて、何処かアナログの匂いを感じるのである。だだっぴろい土地を走るトラックの場面、地方のカーニバルの様子、街の風景など、ロケーションが美しい作品なのだが、それだけにロボットを初めとするCG特撮の、実際の風景との自然な組み合わせが際立つ。そこにこそ、画面の全てをCGで構築する映画にない、アナログ特撮の空気を感じたということだ。実際にはロボットだけでなく背景やら何やらもCGだったりする場面も多いのだろう。思わぬところにCGが使われている、そういうものである。それこそがVFXの進歩の結果なのだし。しかしその背景CGすらも、そうとは感じさせない自然な処理が可能となっていること、それがまた素晴らしいのである。ペラペラの平面ではなく、奥行きという広がりを得たことがCG特撮の素晴らしさだ。

早朝、ジャックマンがATOMにボクシングを教える場面など、その真骨頂ではあるまいかと。空気の冷ややかさと朝日の温かさを感じさせつつ、そこに異形のものがほんとうにいるかのように見せられると、特撮魂みたいなものを勝手に感じてしまって、なんだか涙ぐんだりもするんだよ。かつて特撮界隈では『特撮と日常とが有機的に結びつく』という表現が良く使われたものだが(特に池田憲章さんが使ってた)、まさにそれを体現する場面になっていて、ついでにあまり最近使わない、『センス・オブ・ワンダー』という言葉も思い出してしまった。素晴らしい。

「ロボジー」が続けて公開されるのも不思議な縁を感じる。マシスンの原作の事を考えれば、むしろ「ロボジー」の方がよっぽどリアル・スティールではないのか、と思う。さしずめ、リアル・リアル・スティールか。


日本のポスターは、人間の正面顔がないといけないという決まり事があるようだが、こっちの方が作品内容を表していて断然よろしいよね。