眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

5月5日(土)の日記


13日の金曜日

監督はショーン・S・カニンガム。

DVDでも見るかと棚を物色している最中に奥から出て来たので久々に。持っていたことも忘れていた…というか、持っていたのを知らなかった、といった方がいいくらいに、いつ買ったのか、どうして買ったのかも憶えていない。おそらく中古で250円くらいだったんじゃないかな。これくらいだったらまあ買ってもいいかな、てな感じだったんじゃないだろうか。

どうして買った理由が判らないかというと、それほど好きな映画ではないからだ。これはアメリカでの公開時は恐ろしいほどのヒットになり、その話題性で公開された日本でもスマッシュヒットとなったのだが、実際に見てみるとそんなに怖くもなく、残酷描写もまあそれほどのことでもなくて、なんでそんなに皆が怖がったのかよく判らない映画なのである。勿論、ホラー映画を見なれていない若い世代の観客には、今でも、もしかしたらそれなりの関心を呼ぶのかもしれないけれど。ましてこれまでに何度もテレビで放送されたのを繰り返し見て来た物好きからすれば、展開の妙味などは一切ないわけで(元々そんなものはない)、もうちょっとなんとかすればもっと恐ろしい映画に出来るんじゃないか?とも思うほど、凡庸な映画だと断言してもいいのだが、今回見直してみて、こういう凡庸さも良いものだな、と思ってしまった。凡庸、という言い方は本当に厳しいのだが、本当になんということもない。話にも何も面白みがない。出たとこ勝負のショック演出もまるでのんびりしている。だが、その安っぽさがとてもいいのである。が、何の工夫もされていないセット、ストレート過ぎる撮影、ひねりなど一切ない演出など、エクスプロイテーション映画としては恐ろしいほどに真っ当な内容で、まるで心がこもっていない。今のホラー映画が少なからずホラー映画好きの人間が製作にかかわり、先人へのオマージュをささげたりするような中で(無論、それだけではないだろうが)、ただただ単純に深い意味もなく、儲けのために、大人のずるさで作られた映画、という匂いがありありとしている。そういう心のなさは一種のドライさを生んで、人の死を娯楽として見ることに何の罪の意識も感じる必要が無いという、実に素晴らしい即物性のみで色んな事が成立しているのであった。安い。安過ぎる。というわけで、ノスタルジーというスパイスは、映画本来の出来ばえに別の何かをプラスさせてくれるので、愉しんで見ることが出来て嬉しいですよ、本当に。

ぼんやりした記憶では、真っ当なホラー映画として面白がれたのは4作目まで、ギリギリ5作目までかな。6作目以降はジェイソンはギャグ化して、別な意味で内容に工夫が施されるようになって、どんどんホラーとしては鈍化していく。ソリッドさなどは元々ないが、得体のしれない不気味さだけは(凡庸ゆえに生みだされた不安定さから来るもの)備えていたのが、セルフパロディ化していく中でそれも消えて行く。そうなる頃には、ホラー映画の世界全般の描写が過剰になり、そうなればなるほどギャグと化していき、怖い映画、というのは減って行ったように感じる。そんなことも、もう懐かしい話ですね。なんだかもう映画の感想でもなんでもないようなことを書いているが、どうせ誰も読んじゃないだろうから、どうでもいいだろう。