眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

7月13日(金)の日記


へんげ』 
監督・脚本・編集は大畑創。2011年の作品。

結局(自己の怠慢により)劇場へ足を運ぶこともなかったのを反省し、ブルーレイを購入。値段の高いこっちではなくてDVDで充分だったのではないか…と思いながら。

現在、東京都現代美術館では『館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』が開催中である。ちらりと展示内容などを見てみると、特撮映画・テレビで育った世代には盛大に懐かしく、胸を熱くさせる展示物の数々に鳥肌が立ちそうなくらいなのだが、正直なところ、ミニチュア特撮がこの平成の時代に生き残っていけるのか、観客に支持されるのか、というのは個人的には(いや特撮ファンであったとしても)大いに疑問だし、結局は消えてゆく文化なのではないか、と思わざるを得ず…勿論今回の企画展はそういうことに危機感を覚えた庵野秀明樋口真嗣のある種の決意表明でもあると思うのだが、はたしてどうなんだろう、ともやもやした気持ちを抱いてしまうのが現実。文楽助成金を打ち切ると言い放つ現・大阪市長の発言に倣えば、誰にも相手にされず金にもならないのなら、それは大衆に支持されていないものであるからして淘汰されてしかるべき。ということであり、ミニチュア特撮も淘汰されていくものなのかもしれない…。だが。

監督の大畑創にミニチュア特撮がどうとかこうとか、という考えは特にないだろう。オーディオコメンタリーでも、最後はダンボールでもかまわなかった、と発言しているくらいだ。特撮を担当している田口清隆がそれじゃちょっと、と言わなければ、最後でがっくりする映画になっていた可能性もある。だから大畑創に、ミニチュア特撮映画の担い手としての期待はしない。だが、彼はクライマックスがこういう描写になることを結果として良しとした。また、この作品を『ザ・フライ』になぞらえている意見は多いのかもしれないが、わたしからすればこれは『ウルトラQ』の『変身』である。つまり、特殊メイクやVFXを使った映画ではなく、典型的な日本の特撮の延長上の映画なのである。変身していく相澤一成の姿も、特殊メイクというよりは、着ぐるみと言った方が適切に思える。たとえ、大畑自身にそんな意識はなくても、この映画を現実のものにするときには、そういう映画になってしまったというべきか。田口清隆がやっているからだけではなく、ウルトラマンや戦隊ロボを見て育つ以上、日本の男の子の心にはミニチュアの魂が埋め込まれているということではないかと思うのだ。なので、淘汰されるのでは…と言いつつも、しぶとく生き延びるのではないか、という期待も秘かに抱いていたりするのだが…。

この映画を何の予備知識もなく、期待もせずに見た人が羨ましい。何も知らなければこの数倍は面白がれたろう。また、ちんまりしたテレビではなく劇場のスクリーンで見るべき映画でもある。ホラー映画のひんやりした空気がうまく描かれているので、闇に包まれて観た方が絶対にいいし、圧倒的に想像外に飛び出していくクライマックスの衝撃はより大きいはずだ。ラスト、森田亜紀の『行けえええええっ』という絶叫には映画館の暗闇が似合う。愛と絶望を湛えたあの叫び。ちょっと感動した。