眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『小さいおうち』をみる

脚本(平松恵美子と共同)・監督は山田洋次

片岡孝太郎の勤める会社はおもちゃのメーカーである。妻の松たか子は、会社のデザイナーである吉岡秀隆と不倫関係となる。そこに黒木華の気持ちも絡む。小さなおうちの中の三人の関係は、小さくも彼らの運命を翻弄する。さらに物語の大枠には、戦争がある。あの家は、第二次大戦下における日本の姿にも思えてくるし、それぞれにとっての心情の具現化のようにもみえる。空襲で家が燃えていく場面が、ミニチュアというよりも、おもちゃ感まるだしなのは、彼らのとっての家がそういうものだった、ということなのだろう。箱庭のようにみえる屋外のセットを含めて、それは小さく完結された世界であり、そのおもちゃ感に託された彼らの心情が、無残に燃え尽きるさまは、リアルな破壊描写よりも残酷にみえた。

はっきりと描写していないことで、松たか子吉岡秀隆黒木華の関係に、疑問が生まれる。表に見えている三角関係は、本当にそうだったのか。平成の場面でも、結局それは明確には語られない。しかし、何かがあったであろうことは、話の端々、描写の端々から、感じられる。気にしなければ誰も気付かないような、そんな些細なことを積み重ねて、世の中は出来ている。秘密が重なることで、人生は過ぎていく…。

室内の調度品の「使われている感じ」が素晴らしい。細かいところまで手を抜いていない、生活感のディテールがみていて愉しい。倍賞千恵子の部屋の照明が、とても平成とは思えない、ちいさな傘電燈なのもよかったな。それだけで、彼女の人生が見えるようだ。あと、松たか子黒木華の肌が触れ合う場面の、微妙な生々しさ。タキちゃん(華)の手は温かい、という台詞も官能的な響きだ。触れるというのは、随所で、肩にふれる、手に触れる、顔に触れるなど、かなり意識的に描写されている。指と手の描写にエロスをまとわせているのは明白だろう(部屋に引き入れる吉岡の手!)。その先に、それぞれの心情がある。それを踏まえつつ、もう一度みてもいいかもしれない。

俳優の芝居を大切にしている感じはさすがに山田洋次松たか子のワンシーン内でのちょっとした表情の変化、さりげない仕草など、演技指導の細かさが見えるよう(実際にはどうかは知らないけれど)。そんな繊細さを重視している演出の姿勢は、じっくりと芝居を撮ることでうまれるものを信じているわけで、それが映画らしい映画をみている気にさせるのだろう。また、スター映画としての魅力も兼ね備えているのも、さすがの手練れぶりである。ベテランの仕事をみる喜び。