眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

好きな映画音楽 「続エマニエル夫人」

作曲は、フランシス・レイ

1975年12月20日公開となっているので、前作からちょうど1年後に封切られている。当時は今ほど、テレビの自主規制は厳しくなく、女性の裸は、もっと普通にテレビ画面に登場しており、この作品の紹介でも、シルビア・クリステルの裸は平然と流れていたような気がしますね。特に、小学生だったわたしに刺激が強かったのは、エマニエルが、針をうつところ。上半身裸で、おっぱいはもちろんのこと、特に唇にうつところに、衝撃を受けたですね(歯茎だったか?)。針治療というのを知らず、これ、なんぞ?というショックがあったんです。でも今みても、結構、うわあ、という感じがするんじゃないですかね。いやー効いてそうだねえ、とは思えそうにない。

初めて全編をみたのは、当然テレビ放送のとき。親の目を盗んで、だと思うのだが、あまり記憶にない。お話は、別段何ということもなく、面白いともつまらないとも言えないものでしたが、思えばこういう映画からも、面白いだけではない映画、というものの見方を学んでいたのかもしれないですな。自分でも書いていて、意味がよくわかりませんが。

このときのシルヴィア・クリステルは好きですね。髪が少しカールしていて、ふわふわで、これが似合っていて。前作では、性の手ほどきを受ける、という役柄のために、少々おぼこい感じがありましたけれど、こちらはお姉さま風なんですよ。そこに惹かれましたね。当時から、小娘には興味なかったですね。おねえさんが好きだった…。今、実際のおねえさんだと、50代以上になりますけれども、それはそれでいいんですけれども、年下の女性でも大人っぽい人には、おねえさん、と言いたくなりますからね。まあそういう性癖なんでしょう。と、小娘に興味なし、と言いながらも、小池里奈がどうのとか言ってますけれども、これとて、やはり、おねえさんなんですよね。小池里奈、かわいいなあ、と思うときは、中学生のときの視点になっているんですよ。決して、今の自分よりも若い女性、という目でみていないんですよね、これが。常に、年上の女性を追いかけているようなものなんですよ、と今気付きました。

この映画を退屈ということは簡単なんですが、むしろ、アンニュイ、と言いたいですね。けだるい、つまらない=アンニュイ、というわけではないのだが、エロい雰囲気で、全てよしとしたい。何も起こらずとも、それらしいことが起こっているのではないか、と想像するところにエロが立ちあがるというか…。フランシス・レイの音楽はまた、そのアンニュイ感をさらに増幅させますね。美しい。これに匹敵するのは、エンニオ・モリコーネの「エーゲ海に捧ぐ」くらいではなかろうか、と思うわけです。

よくよく考えてみれば、シルヴィア・クリステルの映画もそんなにみていない。有名どころの「夜明けのマルジュ」とか「華麗な関係」とかもみてないな。テレビでもあまりやってくれなそうだし。妄想の世界に遊ぶしかないのか…。

そうそう、世のおっさん連中が、滝川クリステルをほめそやしたとき、「クリステル」という名前の響きが、甘いささやきとなって、彼女をよりエロっぽく見せていたことを忘れてはならない。若い人たち、そういうことなんですよ。多分。