眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「時代劇ここにあり」


川本三郎・著/平凡社(2005年刊行)

ハードカバーで579頁に及び、それに伴い取り上げられている作品も数多い。が、「時代劇ここにあり」というタイトルから、普通の時代劇好きが手に取ると、若干違和感が残るセレクトにもなっている。

それは、序文、あとがき、各作品の紹介と解説においても、川本三郎の時代劇映画へのスタンスがかなり偏っているため。組織大事の一家もの「次郎長三国志」や、水戸黄門大岡裁きはまっぴら、「忠臣蔵」も好きになれない、と書いている。著者が愛するジャンルは、股旅もの。が、それは時代劇というより、やくざもの、任侠ものではないのだろうか?という疑問を抱く読者も少なからずいると思うのである。

しかしながら、川本氏の著書でも初期の「朝日のようにさわやかに」などを読んでいる人間からすれば、ぶれていないその趣味に納得出来てしまう。「朝日のようにさわやかに」は二十代後半から三十代にかけて書かれた、いわゆる若書きである、と文庫のあとがきにある。そこに取り上げられている作品は、「突破口!」、「生き残るヤツ」、「組織」、「スパイクス・ギャング」などなど、組織に属さぬ男たち(組織に属していても、たいていははみ出し者)の無頼ながらも、一抹の寂しさも感じさせる映画群。また「ハスラー」のパイパー・ローリーや、「ハッド」のパトリシア・ニールを始め、B級アクション映画のポンコツヒロイン、主に東映やくざ映画に登場する女優たちへの過剰なほどの思い入れ。世間からはみ出した人々への愛情を、当時の自分の心情と重ねて語っている。勇敢に組織や体勢に歯向かうヒーローやヒロイン。勇ましさと一緒に、みじめな心の内や、悲惨な結末に素直に心を震わせる若き日の川本三郎がここにはいる。

「朝日」から「ここにあり」までの間に流れた時間は、30年に近い。だが、何も変わっていない。組織からはみ出したアウトローたちへの思いは、むしろ年を重ねてより一層深まったということなのだろう。そういうことを踏まえて読むことのできる人間には、「時代劇ここにあり」は、実に中身の充実した大著、と言えるのである。

ここに紹介されている作品で、わたしが好きなものは、川本氏も大絶賛している「ひとり狼」。これはオールタイムベストに入れたいくらいの映画。「ぼうず、よくみておけ。これがやくざ(ろくでなし、だったかも)のすることだ!」…あれは泣いたよ。「沓掛時次郎 遊侠一匹」とか、工藤栄一の集団抗争時代劇も好きだ。ただ、のちに映画として評価の高まったもの中心にみることになるのが、後追いの人間としては恥ずかしい。華やかで明朗な東映娯楽時代劇を知らずして、何が時代劇だ、という気持ちになるから。

BSプレミアムは、この本を参考にして時代劇を放送しているんじゃないか?と思うほど、紹介される作品が被っているように思うのだが…。偶然だろうけれど。もしかしたら逆に、テレビで放送されたものをみて、この文章を書いていたのかもしれない。それならいっそ、川本三郎セレクション、という企画があってもいいかもしれない。それいいなあ。やってほしい。

先日放送された「股旅 三人やくざ」も「河内山宗俊」も、ここで紹介されている。どちらも素晴らしい作品だった。もっと早くに読んでいればと悔やむ気持ちもないわけではないけれど、それら2作にとりあえず間に合ったことを思えば、いやいや全く問題なし、とも思う。むしろ、このタイミングで読んだことで、その2本を面白くみることが出来たようなもの。何か行動を起こしたときが、その人のタイミングであり、何もしなければ、それはその人にとって、元々縁のないことだったのだ、ということなのだろうね。年を取って、段々人生観が変わって来たな。いい意味で、色々諦められるようになったというか。映画も、若い頃より、今の方がはるかに愉しんでみられるようになったしね。

この本を読んだことで、また映画への関心と興味が一段深まった。読んだ後に、紹介された作品をみたくなる。それが、本物の、映画本の力。

時代劇ここにあり

時代劇ここにあり

10年前の本なのだが、まだ買える。少々値がはるし、そろそろ文庫化(廉価化)を希望。追加で書き下ろしなど付けてもらえると、買い直す気は充分あります。

先日、実家へ帰った際、母と昔の映画の話しをした。話してるとき、愉しそうだったな。もっと聞いておこうと思ったよ。