眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

満願 感想


米澤穂信/新潮社

6編を収めた短編集。いずれも工夫があって飽きさせない。

以下、結末に触れています。






厳密なミステリとしては「夜警」と「満願」の2作品がそれに相当するだろうか。妻に襲いかかる夫に発砲しながらも、その夫に逆襲されて殉職した若い巡査・川藤。勇気ある警官として葬儀が行われたが、直属の上官の巡査部長は、どうもそれに納得がいかない。彼は、川藤が、警官には向いていないとずっと思っていたからだ。葬儀の後、川藤の兄との会話の中で、あの現場で一体何があったのか、巡査部長は一つの結論に思い当たる…という「夜警」

今や弁護士として成功している主人公が、昭和61年の現在から過去を振り返る。昭和46年の下宿生活を回想しつつ、昭和52年、その下宿先でお世話になった夫婦の奥さんが、貸金業の男を刺殺した事件の顛末へと話は進んでいく。殺意があったのか、なかったのかを巡る裁判の結果、懲役八年の判決が下りる。弁護士は控訴するつもりだったが、奥さんは「もういいんです」とかたくなにそれを拒否し、裁判は結審した。罪を償い出所した奥さんが、もうすぐこの事務所に顔を出す。彼女の到着を待ちながら、弁護士は、誰にも言うことのない、事件の真相のことを考える…という「満願」

謎を解き明かすタイプのミステリ小説なので、当然ながら伏線が張られている。きれいに張られた伏線は、まるで存在しないかのようにさりげなく配置されているもので、そのとき結末に鮮やかな花火が打ちあがるのだが、この2作のそれも、実に巧妙に仕掛けられている。特に「夜警」。以下は真相に触れるので反転させるけれど。

伏線となるのは、工事現場作業員のヘルメットに石が当たって転倒騒ぎがあった、というくだり。巧妙なのは、その転倒騒ぎそのものに注目させないことだ。川藤が大変危うい行動をとっていることは、最初から語られているが、ここでダメ押しのようにその行動の綱渡りぶりが強調される。川藤という人間のもろさを感じさせる場面であり、彼を知るためのエピソードとして読んでしまう。転倒騒ぎは、彼の行動を描くための背景として出てきたように思わせてしまうのである。重要なことがそこに描かれているのに、視点を別に誘導させることで、伏線をぼやかす。加えて細かいトラブルについても羅列することで交番の一日の中の、エピソードのひとつとして埋没させてしまうという丁寧な作業も怠りない。何よりもドラマの向こう側に伏線を隠すというのは、なかなか思い至らない。これは凄いなあ、と素直に感心したのである。

これに比べると「満願」は、ミステリとしてはより鮮やかだけれども、比較的ストレートな話の運びになっている。と言っても、ああなるほど、と膝を打つ音は、いつもよりも高めのものである。ただ、真相についての驚きは言わずもがななれど、それよりも含蓄あふれるのが、若き日の弁護士が、下宿の旦那と会話している中で出てくる「酒に強いのも不幸だが、女房が立派なのはなお悪い」という言葉。ここに秘められた旦那の想いが、最後の最後に立ち上がる。結局、この事件が起きた原因はどこにあったのか。それを思うときに、ささやかに世界が反転する。昭和46年の下宿生活の思い出に、さっと暗い影が差すように思えたのはわたしだけだろうか。

「死人宿」は、人里離れすぎた山奥にひっそりと建つ旅館を舞台にしている。かつての恋人がここで仲居をしていると知った主人公が彼女を訪ねる。彼女は温泉の脱衣所で拾った封筒を彼に見せる。中に入っていたのは、どう読んでも遺書としか思えないものだった…。二年前の彼女に対しての仕打ちを反省したという主人公は、3組の宿泊客の中の誰が自殺しようとしているのか、遺書に書かれた文面から探し出そうとし…。書かれていること、また書かれていないことから、推論は現実的なものになっていく。ハリイ・ケメルマンを思い出させるようなお話だが、後味は苦い。所詮、無理なものは無理、止めようがないのだ、という諦念のやるせなさと、それを受け入れている悲しみ。

「柘榴」は、ミステリよりもサスペンス色の強い作品。美しさを自覚する女たちの男を巡るかけひきが、目に見えないところで交わされているというサスペンス。直接的な描写は避けながらも、背徳と被虐と虐待とがからまって、異様なエロスが生まれてくるのが読みどころ。

「万灯」は、企業小説的な趣のある一編。昭和50年代の森村誠一のサスペンス小説を思い出したよ。これも時代設定が(たぶん)昭和56年におかれているが、バングラデシュという舞台設定はもとより、後半で浮上する、「コレラに感染しているのでは」というくだりが昭和50年代のコレラ騒動を思い出させるものだった。実際にあった騒動の中にはこんなこともあったかも、という想像をさせる面白さがある。

そして個人的に一番面白かったのは「関守」。これはミステリとしてもよくできているが、それよりもホラーとして愉しみたい一編。コンビニ系雑誌向けの都市伝説本の記事を書くことになったライターが、伊豆の桂谷峠で連続して起きた自動車の転落事故について取材のために現地に赴く。事故現場はそれほど急なカーブでもないのに、過去に4件の転落事故が起きている。これを都市伝説とからめて記事にしなければならない。途中、ドライブインで休憩を取ると、店をきりもりしているのはひとりのおばあさん。自分がライターであることは隠しながら、事故のことについておばあさんに話を聞いていくのだが…。過去の事故にはまるで関連性が見られない。この仕事は先輩のライターから融通してもらったものだったが、先輩は「これは本物かもしれないから本気でやらないと危ないぞ」と忠告する。しかしおばあさんから当時の話を聞いても、本物っぽさはまるで感じられない。何故この作品が好きかというと、話の先がまるで見えないからである。事故被害者は、豆南の町までの長い道のりの途中にこのドライブインによっており、また古くからここに住むおばあさんと顔なじみだったりもして、おばあさんは当時の記憶を淡々と話していく。ただそれも、不思議でもなんでもない面白味の薄い普通の話ばかり。これはいったいどういう話なのかな…?と思っていると、予想外の方向からホラーめいたものがやってくる。しかしベースにあるのはミステリ。これまでおばあさんがだらだらと話してきた面白味のない昔話の中に、恐ろしい結末へと至る真実がてんこ盛りになっていたという衝撃。誰も知らない真実がそこにある。犯罪が絡んだ真相と、それに関わるおばあさんがどうのこうの、というのも怖いのだが、描きたいのはそこではないだろう。その先で都市伝説としてこの話が強固なものになっていくことの不気味さ。ホラーとして読めるのはそこで、都市伝説が本当に存在するのであれば…という想像をたくましくさせるところが恐ろしいのだ。日本のどこかで、こんなことが起きているのかもしれない、という怖さだ。

何かに取り残されようとしている人たちが、真相を自分だけの秘密として抱えて、ひっそりと人生を全うしようとするという共通点が、この短編集にはあるように思う。過去に生きる、生きた人たちの物語とも言えるかもしれない。残されていく者たちが、息をひそめて様子をうかがうような。冷やかさと諦念を感じさせる。いい短編集だ。