眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「快盗ルビイ」 感想


脚本・監督/和田誠

林徹(真田広之)は、平凡なサラリーマン。母と二人のマンション暮らしだが、ある日、上の部屋に加藤留美(小泉今日子)という女性が引っ越してくる。彼女が言うには、職業はスタイリストだが、それは世を欺く仮の姿。本当は…。「犯罪者よ」
といった具合に始まる軽妙なコメディ。ヘンリー・スレッサーのミステリ小説を、1988年の東京に舞台を移して描かれる、ちょっと間抜けで憎めない犯罪模様。

感想そのものは、今回見返してみても、それほど変わらない。やっぱり好きな映画であることは間違いない、と確認したし、ラストでは思わず涙ぐんでしまうのである。涙ぐむような場面でもないにもかかわらず。そこまでに描かれてきた間抜けな犯罪の中で、主役二人に対する好感が生まれているからこそのもので。よかったね、としか言いようがない。加えて、エンドクレジットの間、ずっと話し続けている小泉今日子真田広之の親しげな様子とか、カーテンコールの俳優さんたちの姿とか、そういう微笑ましさと込みで、多幸感にあふれているラストが、さらに映画の印象を良くしている。

見返してみて、改めて思ったのは、真田広之演じる林徹が、何とも言えない人間であること。彼は、おどおどしていて、人とのコミュニケーションを取るのが苦手そうで、頼りなげである。が、一見そうであっても、意外に図太い人間なのが判ってくる。

そもそも、何を思ったのか、引っ越してきた留美の部屋で、彼女の水着姿の写真を一枚、さっと盗んでいる。その手癖の悪さ…というと酷いが、子どものいたずらのような稚気性を、留美は見て取り、パートナーに選んだということだろう。自分の自由に動かせる、という目論見が彼女にないはずはないが、ところがそう簡単にならない。何よりも頭が回らないので、一からすべて説明しないと話を理解出来ない男だったこと。実直に仕事は遂行するが、決してそれがスマートな結果にはつながらないこと。現に、劇中では5つの犯罪が描かれるが、そのうちの2つは彼の不手際によるミスで失敗するのだ。厳密に言えば、カバンのすりかえも、怪我の功名でうまくいっただけで、当初の計画は簡単に失敗しているし、手紙を盗み出すのもあっさりと警察に通報されてつかまっている。5つのうち4つで彼はミスを犯しているのである。しかし、その頭の回らなさこそが、実直さと直結するものであり、そしてそれが図太さに繋がっているのだった。

彼の図太さを感じさせる描写はいくつもあるのだが、例えば、食品店のおやじさん(天本英世)のカバンをすり替え後、留美の部屋にやってくる場面。あれほど犯罪の片棒を担ぐのは嫌だと言っておきながら渋々とはいえ加担し、しかしそうして部屋に入ってくる彼の表情は明るく、笑っているのである。「首尾はどんなもん?」とまで言っている。あっさりと犯罪者の側に入ってしまって、しかも楽しんでいる。怖い!さらに、食品店のおやじさん(天本英世)に「お礼をさせてください」と言われる場面。いえいえそんな、と言いながら、もしもお言葉に甘えてよろしいのなら…と、キャビアを差し出す辺りの厚かましさ。しかもここでは、ほとんどカメラ目線になっているというのも、変な自信の表れのようで笑ってしまう。なんでそんなに自信満々なのか。そうじゃないかもしれないが、そう見えてしまう。あなた、そんなに真正面から人の顔をみるタイプの人じゃないでしょう、と言いたくなる。

銀行強盗失敗のエピソードでも、彼の大胆さは健在である。計画が失敗したあと、母親(水野久美)が、何故か牛乳屋さんがお金を置いていった、と今朝あった奇妙な話をする。すると彼は、メモを取り間違えたことで何が起きたかを察知して笑いだすのだが、そのお金を返してくる、というのである。お金を手にして部屋を出ていくところでこのエピソードは終わっているが、彼はいったいどんな言い訳をするつもりなのだろうか。いけしゃあしゃあと話すにせよ、訥々と話すにせよ、どっちにしろ多少の嘘はつかなかれば、ことをすますことは出来ないはず。何よりも、言い訳が出来ると判断したからこそ、お金を返しに行けたと考えれば…。その大胆さ、あなどりがたしと思えてくるではないか。

宝石店詐欺では、いよいよその図太さが表面化し、お金持ちの坊ちゃんを演じて悦に入り、高級マンション侵入に至っては、バスルームに閉じ込められて救出を待つ間、何故か突然風呂に入り出すという、奇矯とも奇態とも言える行動を取るのである。そして手紙を取り返して警察に連れていかれるエピソードでは、留美に聞かされた作り話を、さも本当のように話して危機を逃れようとするのだ。こういったことを、真面目で平凡なだけの人間が出来るだろうか。いや、出来ない。つまりここに、彼の異常性が見えて来はしまいか。犯罪者になろうとした加藤留美が、最終的に彼を恋人として選ぶ(犯罪者として認める)のは、出会った時からの必然であったのかもしれない。

もうひとつあなどれないことがあった。徹は、会社で年上の社員(伊佐山ひろ子)から映画と食事に誘われるのだが、その誘いを簡単に受ける。それも、喜んで受けている。また、銀行強盗失敗のあと、彼は花を買って留美の部屋に行こうとしている。謝るために、花を買う。一見、モテとは遠いところにいそうな彼の、この自然なふるまい。意外とモテるのかもしれんね…。何も考えていないからこそ、とも想像されるが、この軽いフットワークは見習いたいところである。林徹、あなどりがたし。

あと、あのキャビアは本物かどうか、ずっと気になっていたのだが、久しぶりに棚から引っ張り出したパンフレットを読んでいると、書いてあった。ご飯にかけて食べているキャビア、本物だそうです。

「たとえばフォーエバー」 夜のヒットスタジオ

今回のブルーレイ(及びDVD)には、メイキング(25分くらい)も収録されているが、真田広之の身体能力の高さを記録している場面があって、ここが凄くよかった。宝石屋詐欺のエピソードで、ホットドッグ屋から出たあと、宝石屋に入っていく徹の後ろ姿を、留美が窓越しにみるという場面。映画上では、店を出て、宝石店に入っていくだけだが、実際には撮影のために立てられている柵が邪魔になっていて、スムーズに宝石店に行けないのである。そのために真田広之は、柵を越えるための台を用意させていて、ほんの数秒の間に、度の入った眼鏡を伊達眼鏡に変えて、柵を飛び越えて、そんな早い動きをしたあとに、林徹の背中で宝石店に入っていく芝居を見せている。いやいや若いし体力があるから、といってもなかなか出来ることではない。何よりも俳優として、演じる力がなければ、あの切り替えは出来るものではない。

他、特報と予告編も収録されている。これをみていて気付いたのだが、徹が自転車に乗る練習をする場面、予告と本編では違うカットが使われている。今まで全く気付かなかったなあ。

ヘンリー・スレッサーは、この映画が作られたとき、まだ健在だった。自国でテレビや映画になるのは、当時でも無くもないだろうが、過去に書いた小説が日本で映画になると聞いた彼は、どう思ったのだろう。完成した映画を観たのだろうか。だとしたら、どんな感想を持っただろう。そういう話は、全く聞いたことがないのだが、少しは誰かが気を利かせることがあってもよかったのではないだろうか。

かれこれ30年前の映画なので、若い世代からすると、辛いものを感じる人もいるであろう。わたしが20代の頃の30年前の映画というと、1950年代の映画ですからね。すっごく古いな、50年代の映画って!と思っていましたからね。今の20代が1980年代の映画に対して抱く「古いな!」も同じものであろう。それは否定できない。だが、それは繰り返していくもので、今の20代も30年後、同じことを感じることになるのだ。そのとき生きていれば、わたしは80代か。それまでブログ続けられてるかなあ。てればいいなあ。