眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「東京二十三区女」 感想

長江俊和/幻冬舎

フリーライターの原田璃々子は、超常的、霊的な力を感知する特殊能力の持ち主である。彼女は、ある目的のため、おぞましき気配に誘われるかのように街を歩く。そして璃々子の大学時代の先輩、島野仁。民俗学者でもある島野は、東京に関する膨大な知識と薀蓄を披露しながら、璃々子の取材について回る。璃々子が感知する邪悪な気配や事件と、島野の語る東京二十三区の秘められた歴史。呪われた街の記憶は、時代を経て、陰惨な事件を繰り返させる…。
東京二十三区女」というタイトルに惹かれる。なんともキャッチー。そして、一体どういう女なのだろうという興味を持たせる見事なタイトル。目次をみると、「東京二十三区」「板橋区の女」「渋谷区の女」「港区の女」「江東区の女」「品川区の女」の六つの章立てとなっているが、「東京二十三区」は、二十三区が生まれた経緯についての説明。実質は五つの物語となっている。

人智を越えたものの存在が、物語のベースにあることから判る通り、ジャンル的にはオカルトものの範疇に入る。が、そこは、テレビ「放送禁止」シリーズ、怖い者好きの間で人気の「出版禁止」の作者である、長江俊和。ホラー小説として完成させながら、叙述的なひっかけを随所に施すサービスが如何にもこの作者らしく、飽きさせない。気にしなければ素通りしてしまうような小さな出来事が、ごくさりげなく描かれている。物語が進むに連れて明かされる、そのさりげないひっかけは、ミステリ小説としての面白さ。となれば、ミステリ方面から、もう少し評判の声が聞かれてもよかったと思うのだが…。

以下、ネタバレを前提とした文章を書いています。

板橋区の女」
夜中にみた両親の不審な行動。その中に鬼をみた、幼き頃の薫。その後、苦しい暮らしの中で出会った男性との結婚。が、やっと幸福になれるはずだった人生に、突然終わりが訪れる。一方、見えない力に導かれて、縁切榎にやってきた璃々子と島野。かつて自殺者が多く出た高島平団地から始まり、板橋という土地に隠されている…というよりも、時代を経て忘れられた話が、島野によって語られていく。

明かされるその闇の歴史は、事実であることが実に恐ろしい。その着地点が、昭和5年に起きた「岩の坂事件」。こんなことが本当にあったのかという衝撃がある。その事件の当事者であったかもしれない薫の物語が抱える不穏さは、平成の時代にまで脈々と受け継がれて、東京という土地にうずまいている。無残な死を迎えたものたちの無念、怨念が、今もここにある…という、世界に名だたる大都会の裏側の表情を垣間見させる。この「板橋区の女」は、長江俊和お得意のアナグラムというか暗号というか、意味不明の言葉が、事の真相のひとつとして出てくるのだが、明確に説明をしていないので、判らない人は判らないままなのではないだろうか。検索しても、はっきりとした答えを書いている人は少ない。判り切っているから書いていないのか、これから読む人のためにあえて書いていないのか、それともさして重要なことではないと思われているのか…。最後に、ダメ押しでわざわざ平仮名にされているから、難しいことではないのだろうが…。あるいは、はっきりとはわからないけど、バカと思われたくないから曖昧にしている、とか。が、わたしも自信はないが、ここは勇気をもってはっきり書く。絵馬に書かれた、薫の夫・英司の縁切りの願い。「妻には過去のゆか 憂い怒る怖い。かなし」。ひらがなにすると「つまにはかこのゆか うれいいかるこわい。かなし」。かなし。「か」を「なし」とする。「つまにはこのゆ うれいいるこわい」となるのだが…。これで正解?違っていたら恥ずかしい…。しかし、ぞっとしたのはそのときではない。絵馬には「××英司」と名前があるが、殺されて行った赤ん坊の物語であることを知ったあとでは、英司という名前は、嬰児の言い換えではないのか、と気付いたときである。そんな呪われた運命を、薫は英司と出会った時から背負わされていたのか。作者がそこまで意図しているのかどうか判らないが、そこまでしたたかでも全然おかしくはない。「薫」は、か折る、として、かを抜く、ということも考えているかもしれない。いや、さすがに考えすぎか。

「渋谷区の女」
罪を犯し、刑期を終えて出所した母に冷たくあたったことを、工藤肇は後悔していた。母は、その後失踪してしまったのだ。結婚を控えた肇は、母の行方を探そうとしていたがその矢先、メールが届く。「貴殿の母が会いたがっている」と。それ以上に奇妙なのは「渋谷川の暗渠、宮益橋跡で待っている」という待ち合わせ場所であった…。東京は江戸の時代には多くの川を抱え、水上交通によって栄えた町であった。しかし発展の名の下にそれらは蓋をされていき、昭和39年の東京オリンピックで徹底されて、東京からは小さな川が消えてしまった。しかし途絶えてしまったのではない。今もそれらの川は、例えば、多くの若者たちが行き交う渋谷の街の下で、生き永らえている。誰にもその存在を知られないまま…。

暗渠内での、肇と待ち合わせた人物とのやりとりは、相手の目的が何かよく判らないために生じる緊張感と、「もしや?」と「まさか?」で疑心暗鬼となった先に、一体何が待つのかという興味で引っ張っていく。その結末は、まさしく「まさか…」としか言いようのないものだが、都市伝説的には充分あり得る物語だとも思える。五つの話の中では、一番、現代的なホラー小説になっている。工藤肇が、渋谷の街の下で出くわす出来事が、一体なんであるかは、璃々子は知らない。ただ、地下で起きている不穏な事態、その気配を敏感に察知するだけである。なので、璃々子と島野は、この話においては全く工藤肇の話に触れることはない。彼らの知らないところで起きている、悲劇としか言いようのない物語は、非常に嫌な後味を残して終わる。暗渠の中に響く声は誰にも届かない。そしてその叫びが、恐怖なのか、歓喜なのか、それも誰にも判らない。

「港区の女」
IT会社の経営者でヒルズ族の乾航平は、深夜0時にタクシーに乗り込んだ。おしゃべりな運転手は、東京にまつわる不思議な話を次々に繰り出し、航平をうんざりさせる。うとうとと微睡んで目を覚ますと、目的地と違うところへタクシーが向かっている。六本木に行ってくれというのだが、再び微睡み、目をさますと…。

夢なのか、現なのかかが判然としないまま、航平を乗せたタクシーは、夜の東京を巡る。お台場、麻布、六本木と、その地名の由来や土地にまつわる話の先で、六本木ヒルズには江戸時代には何が建っていたのかというところをひとつの着地点として、乾航平の立身出世と没落の道が、長めの走馬灯のように語られていく。璃々子は、ある病気の取材のために病院を訪れる形で登場し、出番も少ない。事実を客観的に見せるための、傍役である。が、その病気の取材はどうやら仕事として受けたもののようなのだが、それが作品全体通しての謎にもかかわっているという作りがわかるのは、さらに後のことである。夢と現が入れ替わるような、どっちがどっちなのか判らなくなるような、終わりなき夢幻の連続のような結末を読んだ後、作者のインタビューを見つけた。それによると「ふくろうの河」をやりたかったらしい。それを逆から描いてみたかったと。と知ればこそ、なるほど、と得心する結末ではある。

江東区の女」
璃々子が世話になる雑誌社の編集部に届いたメール。そして添付されていた一枚の写真。どこかの公園で笑っている母娘、その後ろに女の生首が写り込んでる。璃々子は、送り主の女子高校生と会う。彼女の身内は不幸な死に方をする人が多く、果たしてこの写真を持っていてもいいものかと不安を覚えていた。写真から発せられる尋常ではない力に恐れおののきながらも、情にほだされた璃々子は、写真がどこで撮られたのかを探そうとする。そして、不倫の果てに妻を殺してしまった男の物語。男と愛人は、妻の死体を、夢の島に運んで捨てようとするのだが…。

江戸から東京へ連綿と続くゴミ処理問題と、それを請け負い続けた江東区の埋め立て地の歴史について語られる中、ゴミの山に死体を捨てるという気持ちが荒むような展開である。荒れ果て腐臭漂う場所で、人の倫を外してしまった者たちが争う姿は、愚かしくそれゆえに凄惨であり、ぎらついた犯罪小説としての面白さがあるし、特に、殺された妻である志津子。これだけで終わるのが勿体ないくらい。顔つきは派手で美人、しかし今はアザラシのように肥えている。気が強くて、夫にも暴力を振るう、しかしそれでもなお彼のことを愛している、というねじれきったキャラクター。彼女を主人公にした犯罪小説を書いてはもらえないだろうか。心霊写真の話と、不倫殺人の話が、実はひとつにつながっていることは、ここまで読んで来れば趣向としては判っていいはずなのだが、これもなかなか巧みである。気付かない人は、この二つの物語の因縁に気付かないままかもしれない。まあ、そこまで鈍感な人もいないとは思うけれど。女子高校生にとっての母親が誰であり、父が誰であるか、不幸な死に方をした身内とは誰のことなのか。さりげなく語られた事実は、あとになってから意味を持つ。この辺の話の持って生き方は、「放送禁止」でもおなじみの語り口である。そんな不気味さをにじませながら、物語は、予想外にさわやかに閉じる。真正面からの心霊譚として。生首の女が誰か、何故写真に写り込んだのかということなど、最初の想像とは違うところへ着地するのも美しい。それにしても、かつての夢の島に、本当に、死体が捨てられていたかどうか…。都市伝説としては、かなり真実度の高いレベルではあるが。昔の映画(「野獣都市」とか「ワニ分署」とか)に出てくる夢の島の風景をみていると、無くはないだろうな、と思えてくるのは確か。

「品川区の女」
木内修平巡査は、パトロール中に、あるアパートを見上げながらぶつぶつと独り言を言う女性を目撃する。黒髪の地味な女だったが、それ以来、木内は何者かに見られているという感覚にとらわれるようになった。そんな中、管轄区域内で火災、暴漢による傷害事件が発生。そして木内の行く先に、ふらりと姿を現す黒髪の女。木内は、自分を見ているのはこの女ではないかと思うのだが…。

木内巡査を見つめる何者かの視線、その正体は…というところに、ミステリ的な味わいが濃い最終話。彼は、黒髪の女を怪しいと思うのだが、小説がオカルトを肯定しているので、呪われた東京が放つ邪気のようなものかもしれないし、死者の霊かもしれないし…と想像を逞しくしながら読む愉しみ。管内で起きた事件よりも、謎の視線を放つ者の正体に、展開の焦点をあてているところが巧み。視線の正体と事件の解明とが結びつくのが鮮やかなのは、まんまと視点誘導されたがゆえ。お見事といいたい。さらに、黒髪の女の正体、彼女が抱えている秘密…と盛りだくさんの読みどころも用意されている。当然ここにも、叙述的なズラしが仕込まれているが、黒髪の女が璃々子であることも、島野が既に死んでいることも薄々勘づいてしまうのは辛いところ。大森貝塚で、流暢に歴史について語らせてしまったことで正体が判ってしまった。と同時に、島野がいない理由にも勘付いてしまう。丁寧に描いた弊害だろうか。

とはいえ、ここまで主観的だった璃々子の描写が、客観的に描かれるところには、小説としての面白さがある。客観的にみた彼女が少々奇妙なふるまいをする人に見える、というのはショッキングである。うつろな表情で街を歩き、ぶつぶつと独り言をつぶやく。美人ではあっても、あまり近寄りたくはない。だが、アパートを見上げる彼女が何を感じているか。そこに、たったひとりで、敬愛する先輩の死の真相を突き止めようとする覚悟がにじむ。そして東京という巨大な街とその闇と対峙すると決意した彼女が向かったのが、高島平団地であった…という、冒頭部に戻る締め方も見事。かっこよすぎた。まあ、島野が一体どんな禁忌に触れてしまったのかは判らないし、二十三区のうち、五つしか巡っていないし、ぜひともこの続きは書いてもらいたいところ。

しかし、こんなにたくさんの血の歴史があるとは。人間って、本当に愚かで学ばないからな。世の中の美しいことも知っていながら、平気でそれを踏みにじることが出来るのが人間だ。これは東京に限ったことでもないだろう。日本の他の土地での事情は同じようなもので、世界の他の国でも同じだろう。小野不由美の「残穢」が、日本中どこに行っても穢れから逃れられないと言い切ったように、殺しの歴史から人は逃れられない。そのうえで、呪いを背負って生きていくしかない。それが人の宿命なのだ。

あと、ぼーっとしていたら全く気付かないのが表紙。