ロートレック荘事件 ネタバレ感想
筒井康隆・著/新潮社
以下、ネタばれしています。
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面白さのポイントは、叙述トリックにあるので、そこの部分だけで語られることが多いと思われる(事件の真相そのものには、それほど凄いトリックがあるわけでもない)。叙述ものの醍醐味は、今まで読んできた世界がひっくり返るところにあるのだが、読み返す、という愉しみがその後にある。作者が仕掛けた巧妙な罠を、なるほどこういう書き方をしていたか、と確認しながら読むという愉しみ。
実は重樹と修というふたりの人物が、交互にドラマを語っているのだが、共に「おれ」という主語を使うことで、まるで重樹ひとりの主観であるかのように物語を進めている。その上で、工藤という人物を配して読者の視線をそらし、修の存在を消し去っている。しかしそれは、言葉を濁し、ごまかし、削りして、細心に組み立てられた世界であり、ときどき「?」と思う奇妙な文章になってしまうほど、危険な綱渡りになっている。そこは、二度目に読むと良く判る。そのギリギリ感もスリリングである。
もうひとつ、最初に読んだときには、重樹の焦りのような感情は、結婚相手との鞘当的なものと読んでしまうのが、二度目には全く違う様相になるのも面白い。同じ文章でありながら、意味が全く違ってくるという仕込み方は、叙述ミステリでは当然かもしれないが、細かな神経を使って描かねばならず、そこにも感動してしまう。
読みながら、「獄門島」の「きちがいじゃが仕方がない」とか、佐々木希と吉田沙保里が同じ言葉を言っても意味が違う「あの人落としてみようかな」なんかを思い浮かべたよ。関係ないけど。
よく叙述トリック小説は、「映画化不可能」などと言われることがあるが、実際には「ハサミ男」も「イニシーエション・ラブ」も工夫を凝らして映像化されているので、「ロートレック荘事件」も出来るのではないか、と思う。重樹と修を似たような声にして、修を常に画面外に見切れるように配置すれば出来ないかな?似たような声の俳優ということで言えば、谷原章介と玉木宏のような。ふたりとも低くて甘い声でしょう。ときどき判らなくなるときもあるし。皆で考えれば、おっ、というアイディアも出て来そうだけどな。誰かやってくれないかねえ。その際のキャッチコピーは、ラストの一行「どうか私を死刑にしてください。」押しでお願いします。
↓その他の「うわあああ」と思ったミステリもいくつか選んでみました。チョイスがちょっと古めですが、内容は古びていないと思います。