眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「死海殺人事件」 感想


こういうチラシも作られていたとは知らなかった。犯人当ての興趣が高まってよいですね。

監督/マイケル・ウィナー

感想
イスラエル建国前のエルサレムが舞台となっており、おそらくロケ先は現地だと思うのだが、観光映画として物足りない。海外に行くことが気軽にないような人間にとっては、観光名所でなくとも、その国の風景そのものが観光になるとは思う。しかし観光映画という目的を果たすためには、単に風景をとらえても意味がないことがよく判る。物語の背景としてしか意味がないロケーションなら、セットや合成でも充分ではないか、と思えるのである。ロケーションに対しての取り組み方が少々単純すぎて、そこでドラマを語る意思がない映画の作りでは、せっかくの風景も全く味気ないものになってしまう。が、プロデューサーのメナハム・ゴーランとヨーラム・グローバスは、イスラエルの出身である。彼らにとっては、祖国の話も風景もごく当たり前すぎて、そこまで意識が向かなかったのかも…という気もするが。

ミステリとしてそれほど魅力のある謎を提示してくれるわけでもないので、代わりにドラマにもっと注力する必要があったと思うのだが、非常にサクサクと、あまり思い入れなく描かれていく。「地中海殺人事件」なども、決してミステリとして鮮やかな展開と結末とは言えなかったと思うのだが、それでもあの映画が愉しいのは、登場人物を魅力的に見せることに、脚本や演出が気を配っていたからではないか。そういう点で今回は、あまりにもドラマが薄味になって物足りない…。とはいえ、誰が犯人かについては、個人的には結構意外だった。動機がどうのこうのという意見はあるようだが、ミステリに動機は不要であると考えれば、そこは別に気にならない。犯行が可能だった人物は誰か、ということから真相に迫ってくれればいいのだから。ただ、動機の解明は唐突な印象を与える上、展開自体が推理の面白さを見せるほどのこともないので、真相はあっさりと語らえてしまい、物足りないことになっている。容疑者、関係者を集めて、真相を説明する段が、二回に分けられているのも、その作劇上の物足りなさを少しでも劇的に見せるための配慮だったのかもしれない。

パイパー・ローリーが注射される場面では、ピノ・ドナジオの音楽が一瞬デパルマ映画のような響きを奏でるのもうれしい。が、メインテーマ曲などは、観光中のボイントン一家に合わせたせいか、えらくご陽気で、映画の雰囲気とずれており違和感がある↓。

物足りない物足りないと書きながらも、パイパー・ローリーは、もはやタイプキャストの枠にはまり切っているものの、家族を支配する強欲で無慈悲な母親を迫力たっぷりに演じていて、殺されるのも仕方なしの快演。ローリーと対する大御所のローレン・バコールの貫禄も見事だし、ピーター・ユスティノフの安定ぶりと、いかにも軽い気持ちで出ていますな雰囲気のジョン・ギールガッドは、出てくれるだけでうれしい。が、その他のキャストは以前のシリーズのように豪華とは言えず、ディヴィッド・ソウルやキャリー・フィッシャーは、有名だけれども比較的地味な感じ。あとは、ジェニー・シーグローブがみられるのが、個人的には何よりもお愉しみである。ローリーの義理の娘キャロルを演じるヴァレリー・リチャーズが、決して美人ではないのに、にっこりと笑った笑顔が可愛らしいことも記憶にとどめたい。スタッフが気を使った、彼女へのサービスだったのではないだろうか。

この原作が選ばれたのは、ゴーランとグローバスらしい選択。興行的には(作品的にも)成功とは言えなかったろうが、この路線は続けてほしかった。監督はマイケル・ウィナー。編集も自分で(別名で)やっており、脚本にも手を加えて製作にも噛んでいる。往時の勢いはないけれども、そつなくこなしている感じ。そこは職人的手腕で乗り切れるところなのかもしれない。前シリーズから引き継がれる、黄金時代ミステリ映画らしい味わいもちゃんと残されており、実は「物足りない」と書いているほど、それほど退屈とも思っていない。映画は、あまり目くじらを立てずに見た方が、ずっと面白いし、愉しい。

おまけ「地中海殺人事件」のテレビスポット