眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

血を吸う薔薇 感想

夏のホラー映画まつり その2

幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形」「呪いの館 血を吸う眼」に続く3部作の3作目。

ミステリアスな展開をするのが面白い。黒沢年男演じる主人公が、学校にやってくるや否や、学長は「あなたを次期学長にと考えているんですよ」と言い出す。牙をむいた女たちに襲われる、夢とも現実ともつかぬ出来事。前にも、次期学長を言い渡された教師がおり、その人は今は精神病院に入っているということ。そして、土地に伝わる200年前の恐るべき事件…。などなど、吸血鬼映画ということは判っているとはいえ、その正体がはっきり描かれるまでに至るプロセスは、大変地道なサスペンスの積み重ねであり、正統派スリラー。同時に、200年前の異人宣教師が人の血を吸ったという回想あたりから、伝奇的な色合いも加味されていき、これで物語のスケールがぐっと広がる感じがある。少しづつ謎が明かされ、不可解な事件が一点にまとまっていく後半の先には、吸血鬼との格闘というアクション映画的な見せ場が展開。岸田森、大暴れ。ガーッ、ウガーッとうなり声をあげての熱演。

前2作と比べると、格段にエログロ度がアップ。「血を吸う眼」から2年を経ると、映像上の表現もやはり過激さが増してくるものである。顔の皮を剥いで(剥ぐ直接の描写はないが、首に刃物をぶっ刺すと血が噴き出す場面あり)、それを被るというのは、なかなかに刺激が強い。まあ、「ゴジラ対メカゴジラ」でさえ、ゴジラの凄まじい流血表現があったくらいなのだから、これくらい当然ではあろうけれど。あとはエロ描写…と言っても、半裸の女性や、首筋ではなく乳房に噛みついて血を吸うといった場面くらいの微エロ描写だが、閉鎖された女子だけの空間という舞台設定と合わせ、淫靡な雰囲気を描き出している。吸血行為を性行為のメタファーとするなら、学長夫妻による女生徒たちの支配は、彼女達を性の奴隷としているのと同じこと。そう思えば、陰惨で救いようのないセックスの匂いが画面外からも漂ってくるようだ。しかも血を吸われている側は、それを喜びと感じているのだから、絶望の度合いは、かなり深い。

監督の山本迪夫は、夫婦の物語にしたけれど、上手くいかなかったと言葉を残しているのだが、確かに「血を吸う人形」の親子のドラマと比較すると、物足りない部分はあるかもしれない。学長夫妻が愛しあっているという描写はない。ふたりの描写がバラバラになりすぎている。そもそも学長と夫人が一つの画面に収まるカットがないのが致命的ではある。学長と夫人の話しは独立した別の話し、と言ってもよい。が、だからといって面白くない、とはならないのが映画の不思議でもある。

気になったのは、黒沢年男演じる白木のキャラクターと芝居。
どうにも覇気がない。落ち着いた芝居、といえば聞こえはいいが、果たしてそうなのか。学校には、しぶしぶやってきたという感じしかしないのは、まあいいとしても…。
夢か現か判然としない、桂木美加と麻里とも恵に襲われる場面。おいつめられて、年男は気絶するのだが、どうして気絶したのかが判らない。殴られたとか、首をしめられたとか、直接的な暴力行為がない。ただ、年男が「うっ」といって倒れるだけ。ここ、何?
翌日、地下に降りて行き、棺桶を勝手に全開させて学長夫人の遺体を確認するのも非常識過ぎる。ホラーとしての状況が極限まで高まった状態なら、それもありだろうが、まだドラマの序盤ですよ。それに遺体に触れて、冷たいことを確認し、「死んでる…。するとあれはやっぱり夢か」とモノローグが入るのだが、このとき、年男は笑うんですよ。笑うかね、普通。安堵が先じゃないかな。いや、笑うかもしれないが、ホラー映画のリアクションとしては何か間違っている気がしてならない。で、そこに現れた岸田森に叱責されるのだが、振り返ったときの年男の姿が、悪戯をみつかったときの子供みたいなのもどうか、という感じ。本当に子供みたいで笑ってしまったのだが。
田中邦衛と初めて会うところでは、黒沢年男の背中側から邦衛の芝居を撮っているのだが、その芝居の間、年男はほとんど動かない。簡単に撮り方が悪い、とは言えないけれど、どんな顔して邦衛をみているのかが全く判らないのは不安になる。消えた生徒がいる、と聞いたあとに振り返るときも、間がありすぎる感じ。ちょっとしたことなのだが、奇妙な違和感を覚えずにいられない。
講義中に生徒が倒れるところでも、プロジェクターの横から微動だにしない。普通、現場の責任者なんだし(それに主役なんだし)真っ先に駆け寄ると思うのだが。
邦衛が残した写真をみて、映っているはずの人物がいない、ということに気付くところでも、写真を再現するために、生徒の望月真理子をいきなり抱きよせる。それもないだろう、普通は。望月真理子もびっくりしている。そりゃそうだ。真理子は、年男のことが好きなので、ちょっと嬉しかっただろうが、そういうことではない。
精神病院に入っている前任の教師に会いにいくところでも、変な行動を取る。年男が話し始めても、前任教師は全く反応しない。そこで年男は、注意を引くために日記の束をバン!と叩くのだ。何故、そんな威圧的なことをする必要があるのか。それ、話を聞きに来た人がする行為じゃないよね。最初から、横に来て話しかければいいのではないか…。

とにかく、長々と書いてしまったが、年男の行動はあまりにも無頓着過ぎるのではないか、ということである。何も考えていない。そしてまた、終始、しぶい顔をしているのは、演技ではなくて、本当にやる気がなかったからではないのか、ということである。そうでなければ、もう少し、リアクションのしようがあるのではないか、と思うのだ。実際、黒沢年男は、山本迪夫に口説かれてこの映画に出演したようだが、怪奇映画は苦手だったらしい。だから、本当にしぶしぶ、だったのだろう。無理して出てもらっているので、監督もあまり強いことが言えなかったのかもしれない。監督も、前2作ほど、やる気がなかったのかもしれない。それが、映画の中で年男の演技に奇妙なズレを生んでしまっているのだろう。「サンダ対ガイラ」でのラス・タンブリンがいやいや芝居をしていたような。今となっては、それも味わいのひとつではあるが。
あと、年男のせいではないが、他にも気になることがある。望月真理子の役名は、西条久美というのだが、最初は「西条くん」と言ってるのがクライマックスで突然「久美」と言い出したのも驚いた。どの瞬間で、その呼び方になるほど気持ちが入ったんだろう。それも判らない。
200年前の棺桶、放置したまま?というのも、ある意味ショック。朽ちてしまうと思うが、原形を留めている。呪いがかかっているのかもしれない…。

女優さんたちも、それぞれいいですね。皆さんあまり大成されませんでしたが…。望月真理子は可愛らしく、劇中の言わばヒロイン。役柄としては、普通だが。以下、若干ネタばれになるが

吸血鬼の毒牙にかかるのは太田美緒と荒牧啓子。太田美緒は、これは熱演と言ってもいいくらい。後半まで見せ場を引っ張る重要な役で、岸田森の暴れっぷりもかなりのものだが、彼女の吸血鬼ぶりも迫力。荒牧啓子もよかった。血を吸われた後の、儚げな感じがよい。2階から飛び降りる前の笑顔が切ない。学長夫人役の桂木美加は、展開上、出番が無くなってしまうのが残念。

公開日は1974年の7月20日。その一週前に「エクソシスト」が公開になっている。「薔薇」の同時上映はフォーリーブスの「急げ!若者」だったので、客層が違うとは思うものの、「エクソシスト」は小学生、中学生までも動員するほどの大ヒット映画となったわけで、かなりの客を食われてしまったことは間違いあるまい。ホラージャンルの革命のような映画をやっているときに、このようなオーソドックスな怪奇譚は、古臭いと受け取られはしなかったのだろうか。74年当時のフォーリーブス人気もどうなのか…。かなり人気も下火になりつつあった頃ではないかと考えるに、この2本立では、あまりヒットにならなかったのではないだろうか。実際、シリーズはこの3本で終了している。

昔話
「お昼のワイドショー」という番組があった。今、「ヒルナンデス」をやっている枠ですな。毎年夏には(後には冬や春にもやっていたような気もするが)、「あなたの知らない世界」という心霊特集があり、その中で「日本にも吸血鬼がいた!」というタイトルで放送されたドラマがあった。恐ろしい中にも、やけにエロティックな場面があり、震えながらみたものである。ただ、子供心にダイジェスト風だと思っていた。ナレーションが入っていたからかもしれない。所々目をそらしていたし、古い記憶なので断言は出来ないのだが、あれは「血を吸う薔薇」だったと思う。だからなんだ、という話しだが…。

シリーズ3作予告編つめあわせ。ネタばれしてますけれど。ま、気にする人もいないだろう。

監督 山本迪夫/東宝/1974/