眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

若山富三郎・勝新太郎 無頼控 おこりんぼ さびしんぼ 感想


山城新伍・著/廣済堂文庫

この本は本当に面白いので、是非とも多くの人に読んでもらいたい!

しばらく前に「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」を読んだ。その途中で、猛烈に読み返したくなったのが、「おこりんぼ さびしんぼ」である。ということで久々に再読したが、やはり面白かった。若山富三郎一家に属してしまったがために、色々と引きずりまわされ、時には迷惑をこうむったこともあるが、山城新伍おやっさん(富三郎)への愛情がひしひしと伝わる。兄弟ふたり、引いてはその父親についてまでも語られるのは、さすがに間近でみていた人間にしか書けない人生模様。名著といっても過言ではなし。

前半は、おやっさんの話を中心に、東映時代劇から任侠映画時代の、羽振りの良い頃の話が盛りだくさん。無茶過ぎる、横暴過ぎる、だがそれでも愛すべき存在であったおやっさんの、撮影所での姿が見事に活写される。信じられないようなことが起こる、しでかす脅威の存在。部屋の壁を壊そうとする話などは、抱腹絶倒ものの可笑しさである。
山城新伍自身は、当事者でありながらも、とんでもない状況を冷静にみているところがある。それは常識人としての客観性となり、だからこそ、若山・勝兄弟の距離感や考え方などにも注意が向いていて、さらにそこに同じ映画人としての想像が至ったのであろう。山城新伍も監督をやったりもしているので、つまり創作者として、かなりこの兄弟のドラマを俯瞰的に語っている感じがする。過度にべたべたしていないところに、この本の良さがあると思うのだ。懐かしむだけの思い出話に終わらないところがいい。

後半は、映画人気もだいぶ落ち着いた後の頃のことが語られている。富三郎が性格俳優として評価される一方、体調を崩し、勝新マリファナでつかまるあたり、この辺はなんとかリアルタイムでみていたので、その舞台裏を知るような感じ。東映時代の圧倒的なパワフルさが影を潜めていくのがとても悲しい。そして、富三郎の死、勝新の死、となって、この本は終わる。あとに残るのは言いようもない寂寥感。今となっては、本を書いた山城新伍本人もこの世にいないのだと思うと、その思いはさらに強くなる。わたしは「笑アップ歌謡大作戦」で、毎週山城新伍をみて、ひいひいお腹抱えて笑っていた世代だ。おそらく、この俳優たちの面白さ素晴らしさに、ギリギリ、接することが出来た世代だ。それをありがたく思う。

あと思うのは、山城新伍が調子のいい人間だということである。おやっさんが死ぬ所には立ち会えなかったのに、まるでそこにいたかのように書くことが出来る人なのである。この本のどこまでが本当なのか、あまりに面白過ぎるエピソードなどは作っているんじゃないのか?とも思えて来て、山城新伍という俳優の、実に胡散臭いパーソナリティにも改めて感心する次第でありました。

おこりんぼさびしんぼ (廣済堂文庫)

おこりんぼさびしんぼ (廣済堂文庫)

ついでと言ってはなんだが、「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」(春日太一/文藝春秋)についても書いておく。

これがもう、東横時代のお金がないときを乗り越えて、マキノ光雄が東映時代劇を盛り上げていく様子、その後岡田茂が任侠路線で時代を作っていく様子が、怒涛の勢いで読めてしまう素晴らしい本であった。俊藤浩滋、高岩淡、日下部五朗といった人たちがどのように映画製作に向かって行ったか、知らなかった話しが満載。特に興味深かったのは、集団抗争時代劇について。時代のあだ花などと言われることも多い作品群なのだが、そこにかなりの分量を割いてあるのも読みごたえがあった。数年に渡って多くの人に取材しただけあって、大御所クラスだけではなく、撮影所の叩き上げ組にも話を聞いてあって、それが本としての厚みを増している。どれだけ多くの人間が、血と涙を注いで東映京都を作ったか、愛したか、という記録であり、熱いラブレターでもあった。

細かいところで印象に残ったのは、著者が京都撮影所寄りで書いているので、社長の大川博が悪者になっていること。「矢島信男伝」では、特殊技術課の長となった矢島信男に、好きなようにやってくれ、と言い、実際権限を与えてくれた恩人として語られているので、視点によって全く違う見え方になるのが興味深い。また、「神戸国際ギャング」で監督に招かれた田中登が自分勝手なことをしてスタッフ、キャストの間で反感を買った、という話しもあったりするのだが、これも京都撮影所側に肩入れし過ぎな感じもする。事実、そうなのかもしれないが、あそこまで悪しざまに書く必要があるのかと思った。終盤に入ってからの「恐竜・怪鳥の伝説」や「宇宙からのメッセージ」などの特撮ものにも少々冷たく、関心がなさそう。著者は1977年生まれという。その時代の空気に全く触れていないのだから、関心がなくても仕方ないのかもしれないけれど。そこらがちょっと残念。