眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「サスペリア」 感想

監督/ダリオ・アルジェント

2017年 夏のホラー映画まつり 第2回

夏には、やっぱり怖い映画を見たくなるもの。といっても、齢も50を前にすると「夏は怖い話」という中に、ノスタルジーもかなり混じってくる。子どもの頃の夏の風景と怖い話はセットになっていて、夏に怖い話を聞いたり映画を見たりするのは、あの頃を思い出そうとしているのかもしれないね。ということで、選ぶ映画もそれにふさわしい古めのホラー映画ということになってしまう。が、検索すれば、この映画に関する感想は山のように出てくることだし、そうなると今更書くこともない。言いたいことは、既に誰かが書いてくれている。後出しジャンケンも甚だしいし、恥ずかしいし…。とはいえ、個人的に面白かったところは、挙げておきたい。

アメリカ版+イタリア版予告編

話が適当だとか、物語を組み立てる気がないとか、ダリオ・アルジェントはよくそんな風に言われるが、確かにそんな一面はある。辻褄とか整合性とか、それほどかっちりとまとめようという気はないのかもしれない。その代わりと言ってはなんだけれども、どういうつもりなのか、異常にバランスを欠いた描写を平気で挿入するところが凄い。前にも書いた気がするけれど、スージー(ジェシカ・ハーパー)が空港のビルから出てくる場面の自動ドア。大雨のために水を噴き上げている水路。水が流れ込む排水溝の蓋…などなど、意味なく唐突にアップになる。水がブバブバあふれている水路の場面なんて、スージーの乗ったタクシーを追いかけているカメラが、わざわざそっちに向くのである。そしてアップ。全然意味がない。が、この意味不明さが恐ろしく感じられるのである。普通の映画のパターンを、壊したりはみ出したりすると、途端に不安になるという観客の心の隙を突いてくるからだろうか。得体の知れない不安が冒頭部で発生すればあとは、自然に暗黒の中に落ちていく…という計算なのかもしれない。といっても、もうだいぶ古い映画であるし、今見返してみての感想は、思っていたほど恐ろしくはない、ということ。しかしながら、ところどころで、ギョッ(死語)とする場面があって、色々と思うこともあったのは面白かった。

例えば、最初の殺戮シーン。学校から逃げて来た生徒の女性が、何者かにナイフでメッタ刺しにされる恐ろしい場面(ガラスに押し付けられる顔が怖い!)だが、ナイフが、ぐいっと刺さる。皮膚に直接刺さる描写はなく、服の上からだが、これがもうびっくりするくらい怖い。というより、怖いと感じるようになってしまった。刺されるたびに、ゲッとかグッとかうめくのも嫌な気持ちになる。久しく、真正面から人が刺される姿を(映画やドラマで)見たことがなかったので、それでこんなにショックなのか。妙に、刺した肉の感触が伝わる感じが嫌。

盲目のピアニストが盲導犬に噛み付かれるところも嫌な感じがする。ピアニストが死んだあと、犬がその肉を食うのだが、生肉を引っ張って食いちぎっている。死体は映っていないのだが、首筋から顔のあたりの柔らかいところが食い破られているのだなと想像するには充分な描写である。このあと警官が気付いて駆けつけると、犬は逃げていく。遠くからのワンカットのロングショットになっているために、映画としての誇張が少なすぎて、ライブ映像的なリアルさに近い。犬が逃げるときに、身を翻すように走り出すのも、演技ではなく本当に逃げているように見える。この映画は魔女が出てくるという点で、より細かくジャンル分けするならオカルト映画になるのだが、殺戮描写に関しては、ジャッロ映画のままといってもよろしかろう。尋常ではない力(超能力や怪力)によって殺されるわけではないところに、絵空事になりきらない生々しさが残っている。「サスペリア」は、原色使いの派手な映像や音響効果が取り上げられがちだが、アルジェントのじっくりとこだわった偏執性は、地味な描写にこそより明確なのではないかと思った。

オカルト的なことで言うと、冒頭部とピアニストの場面は、殺戮者が唐突に現れる不自然さがある。理屈に合わないなと思っていたが…。外を気にして窓辺に立つ女性に、窓の外から撮っている主観カメラがふわあと近寄ってくるショット。ピアニストが殺される広場では、犬があちらこちらに向かって吠え、鳥の羽ばたきのような音が聞こえ影がゆれて、ピアニストの上を飛ぶようにカメラが動く。改めて見てやっとわかったのだが、殺戮者が飛んで来たんでしょうな。魔女と言えば、箒に乗って空を飛ぶイメージがあるけれども、実際、この映画の魔女は、空を飛ぶんでしょう。飛ぶところは、見せようと思えば出来たかもしれないけれど、そうはせず、それとなく匂わせた程度にしているのが不気味。都市伝説が現実化するような、そんな異様さがある。魔女なんているわけないだろ現代に、という常識的な思考が、虚実の狭間でゆれる感じ。モスマン事件をどこまで信じるか、みたいな。

ジェシカ・ハーパーが好きな人には、この映画は「ファントム・オブ・パラダイス」と並んで宝物のような映画だろう。終始、困り顔の下がり眉毛、中途半端にしか踊れないレッスンの場面、眠気に襲われてやたらムニャムニャした表情、プールで泳ぐ姿(立ち泳ぎみたいな変な動き)を延々上から撮られているショットなど、ファンにはたまらない場面の連続である。か細く華奢なこともあり、被虐性が服をまとったような頼りなさ、そんな彼女が魔女と対決するというところに映画の醍醐味がある。元々主演に予定されていたダリア・ニコロディでは、こうはならなかっただろう。

他にも。学校のお手伝いさんみたいな女性たちがロシア語を話している。そして母国語しか話せないルーマニア人の下男。ドイツが舞台だし、いろんな国の人がいてもいいのだが、まだ東西冷戦の時代だ。ロシアはKGBが暗躍するソ連だったし、ルーマニア独裁政権下だった。ギリシャの魔女の学校にどういう経緯で、ロシアやルーマニアから、彼らはやってきたのか。移民なのだろうか。第二次大戦時に流れて来た難民であったり、その子供だったりするのかな。