眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

R.I.P. 土屋嘉男…

89歳。人が亡くなるたびに記事を書いていくと、それだけで一年の大半が訃報記事で埋もれてしまいそうな気がしてくる。それなりに生きてくると、好きな人も、影響を受けた人も、気になった人も増える。長く生きるということは、多くの人の死に触れるということでもあるのだな。当たり前と言えば当たり前のことなのだが、しみじみと感じる次第である。

土屋氏は、先ごろ亡くなった中島春雄氏共々、東宝特撮映画好きにとっては忘れることの出来ない俳優だった。ミステリアン、ガス人間、マタンゴX星人と、奇怪な役を嬉々として演じる素晴らしい俳優だった。特に好きなのは「ゴジラの息子」のとき。日本に帰りたい帰りたいと、ノイローゼ状態になり、隊員たちを危ない目に合わせる人物。が、帰れるぞ!となったときの、生気の甦り方の判り易さに驚かされたものである。最初は、困った人と思って見ていたのだが、繰り返し見るうちに、なんだか愛すべき人だなと思えるようになった。

しかし、代表作と言えば、やはり「ガス人間第一号」ではないかと思っている。個人的には、オールタイムベストの一本である。

貧乏で学もなく、見栄えもさえない男・水野が、ひょんなことから人体実験のあげくにガス人間となる。日本舞踊の家元・藤千代に入れあげた彼は、その力を彼女ために使い、銀行を襲撃して現金を奪うが…。というピカレスク込みの哀しい恋の物語。恋愛映画として素晴らしいので、ジャンル映画に興味がない人にも、ぜひみてほしい傑作。世間に対して尊大にふるまう一方、藤千代へは、あふれんばかりの愛情を見せる水野。しかし藤千代に、水野への愛があるのかというとどうなのか、という微妙な感じがまた苦く切ないのだ。水野の屈折した心情、怒りと悲しみの混じり合う姿を演じた、土屋嘉男の姿を決して忘れるまい。

亡くなったのは、2017年2月8日だったという。どうして今、報道されているのか事情はわからない。しかし偶然というのはあるものだ。「ガス人間第一号」で藤千代を演じた八千草薫は、現在テレビ朝日の「やすらぎの郷」に出演中である。彼女が演じている九条摂子は、昨日9月5日放送の112話で息を引き取った。単なる偶然ではある。現実の死とフィクションの死をごっちゃにしてはいけないのかもしれない。しかし、現実と虚構が混じる奇妙な感覚を覚えてしまったのも事実だ。ガス人間から57年経って再び、水野と藤千代は共にこの世を去った。そこにロマンティックな夢をみてしまうことを、許していただきたい。

追記(2017.9.16):上にも書いているが、土屋氏が亡くなったのは、2月8日だったのだ。ということは、9月6日の報道時には、氏の肉体はこの世になく、亡くなったという事実だけがあったことになる。実体がなく、そこに存在しない、ということは、俳優としてはそれほど珍しいことではない。家族だけで葬儀は済ませ、後からそっと報告されるケースは多い。だが、土屋嘉男なのだ。ガス人間なのである。実体がないことがアイデンティティという、類まれなキャラクターなのである。生前の土屋氏は、悪戯好きだったとも聞く。そこまでのことを、土屋氏が生前に考えていたとは思わないけれど、そういうことになったのは、偶然とはいえ何らかの、誰かの意図を感じてしまうのだ。例えばそう、映画の神の…。

九条摂子の死と、土屋氏の死の報道とは、おなじ次元の話なのだと思う。虚構の死を描くフィクションと、既に実体のない人の死を告げるだけのニュース。並べてみると、どちらにも、本当の死が存在していないような感じがする。虚構と現実が混じる奇妙な感覚と書いたけれど、そう思うのも当然なのだ。土屋氏の肉体が既になく、報道という、形のないものでしか死が存在しないため、土屋氏の死は、虚構の死と同列になっているのだ。そして「ガス人間第一号」を愛する人間としては、ガスに巻かれ、一瞬の光の果ての、人間と異形の者が壁を越えてひとつなる瞬間も思い出す。二人の世界が同列になる瞬間。この瞬間を、九条摂子の死と、土屋氏の死の報道に感じてしまうのである。そこにはやはり、映画の、芸能の神の何らかの力が及んでいるのではないか…と。そんな風に思いたいのです。