眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「デッドストック 未知への挑戦」第3話 感想

あらすじ 
ビデオテープ映像。森の中を逃げる人影。追いかけるものの逃げられてしまう取材陣。近くの木には、打ち付けた藁人形…。

呪いの丑の刻参りの取材にある神社にやってきた、大陸と早織。宮司は、藁人形のキットや丑の刻参りセミナーなど、商売のことしか考えていないような人物だった。宮司の妻である事務長に案内してもらい、裏山へと入ろうとすると、「ここは聖域だから入っていはだめだ」と言われる。しかしだからと言って、それに従う早織ではない。嫌がる大陸を連れて真夜中の山へと入っていくと…。

感想
冒頭の未確認テープには、これという怪異が映り込んでいるわけではない。早織が今回の取材で取り組もうとしたのは、丑の刻参りという狂気に駆り立てる人間の業について。幽霊や怪奇現象といった、人知を超えたものに対する興味からではない。ということで、必然的に幽霊や怪奇とは違った方向を目指す展開となる。そもそも、得体の知れない幽霊のようなものや生き人形といった、目の前に実在するものではなく、実体のない呪いを対象としたとき、それをどう描くのかというのは、なかなか難しいのではないだろうか。呪いが実体化する、という話ならば別だが、今回の物語ではそれはない。脅威が目の前に迫ってくるといった恐ろしさが少ないため、今回は少々物足りなく感じられた。

呪いが現実化したかのように思われる事態が終盤で発生するが、実際のところは偶然かもしれないし、本当に呪いが成就したのかもしれないし、どっちにも取れるように描かれている。そこに恐怖を感じることが出来るかどうか。商売熱心な宮司は、セミナーでやってきた迷える女性を食い物にするエロおやじに過ぎず、彼のその所業を苦々しくそしておそらく嫉妬しながら歯噛みしていたであろう妻の怒りと呪いは、至極当然のもの。宮司が報いを受けるという、妻の怒りの達成の方が、呪いが実在するという驚異よりも強く印象付けられるので、恐怖は大幅に減退してしまう。怪談ものがはまりやすい、怖さのポイントのずれが、ここでも生じているように思える。

人の業、という点においては、エロ宮司の所業と、それを辛く思っていた妻の両方に、描かれていない二人の関係について想像させることも含めて、ドロ付いた感情の行き交いを感じることは出来る。セックス(やお金)への妄執に取り憑かれた宮司と、夫を、男として愛し、宮司として尊敬していたであろう妻の満たされぬ思い(肉体もか)。それを捨てることは出来ず、逃げることも出来ず、欲望の渦をどこまでも深く降りていくような関係がずっと続いていたのだろうと想像して、初めて、二人の業の罪深さが感じられる。しかし、そこまで考えないと、ドラマの根幹に届かないのは正直しんどい。最後に、早織が「二人の間に一体何があったんだろう」と、問いかけるような場面もあるが…。

素人の考えていることなど、作り手はとっくに考えているだろうが、エロ宮司をエロ宮司として描くよりも、外見から判断するとまずモテそうにないタイプとして描くのは無理だったのか。祈祷をする場面でも、弱弱しく力なく、すまなそうにふんどし一丁になっていくのは無理だったのか。そのくせ、一物だけはやたらにデカい、ということを匂わせるような描写は出来なかったのか。妻が精神的にも肉体的にも満たされていないことを、もっと描けなかったのか。凄惨な物語にすればよいというものでもないし、常に幽霊を出さないとダメというものでもないが、今回は少々物足りなかった。恐怖の核にまで迫れないのなら、その周辺をじっくり見せたり、意外な見せ方をしたりしてほしいところ。

ラストは大陸と母親が会話している場面で終わっている。「一度は愛した人を殺したいってまで恨んで、呪うなんて出来るのかな。でももし出来ちゃうんだったら、僕はそんなことの出来る人の心が一番怖いと思う」と大陸は言うのだが、この言葉が最終回で恐ろしい響きを持つものにならないかという予感がしないでもない。見ましたか、彼の晩御飯。ご飯とみそ汁。そして野菜炒め。これだけしかない。これで充分だ、普通だ、と言う人も多いかもしれないが、母親は息子よりも時間がありそうな雰囲気だ。もう一品、二品くらい用意出来るのではないだろうか。せめて冷や奴の一つくらい無理なのか。何が言いたいかというと、あれは大陸が自分で作った晩御飯ではないのか、ということだ。疲れて帰宅した独身男性が出来る、ギリギリの自炊があれなのではないかということである。