眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「白い手 美しい手 呪いの手」 感想

監督/富本壮吉

会社の金を横領した悪人どもは、事情を知る女性社員を殺して罪をかぶせて逃れようとする。バラバラにして捨てられたはずの遺体だったが、バスルームに残っていた右腕が復讐のために動き出し、悪人どもを追い詰めていく。

円谷プロが土曜ワイド劇場で製作したホラー作品で、「恐怖劇場アンバランス」の「墓場から呪いの手」のリメイク。勿論、オリジナルを知らなくても全く問題はない。

初放送は1979年の8月4日となっている。もう38年前の作品ともなると、古びてくるのは仕方がない。滑稽に見えてくる場面もあるが、経年劣化とはそういうものである。だが、その初放送当時、夏休みで浮かれた子供たちが、怖いもの見たさでチャンネルを合わせて震え上がったということは書いておきたい。いや、現在においても、小学生にとっては結構な衝撃作ではないだろうか。

何しろ、人体をバラバラにするというショッキングな展開がある。血が流れだすのは勿論のこと、生首も平然と映し出される。作り物には見える。確かに作り物ではある。しかし、薄暗く不気味な照明はホラードラマとしての雰囲気としては間違いのない恐ろしさであり、それは作り物にすら不穏な気配をはらませるのである。ことに、右腕が散らばった人体を回収し、犯行のあったバスルームに集めるという設定の素晴らしさ。バラバラの人体が寄り集まっているさまには、残酷猟奇趣味もあふれて最高の場面ではないかと思わされる。ここで、殺された堀越陽子が、ふわっと立ち上がるのだが、幽霊として描写されているせいか透けており、合成で処理されている。これが今の作品ならば、肉塊がくっついていく描写が見せ場となってゾンビのようになって立ち上がるところだろう。が、さすがに予算の都合もあってか、そこまでグロテスクなものにはなっていない。しかしながら、幽霊としてたびたび現れる堀越陽子は、常に青い照明をまとい、これは徹底されて彼女のテーマカラーとなる。ホラーとしては常道とはいえ、そういう正統派な作り方が、今も充分通用する(怖い)ということには気を付けたいものである。ホラー映画で大切なのは、何よりも恐ろしい気配を作り出すということだ、と。

俳優たちの演技も素晴らしかった。宙を飛ぶ右手を相手に恐怖するという、大変難しい演技になるが、誰も彼もが全く手を抜かない怯えぶり。それをして滑稽だとか大袈裟だとか、そういうことは簡単に言えるのも確かだが、ここまで行くと突き抜けてしまう感じもあり、異常な切迫感さえ生じてくる。特に、山田吾一の家に生首が出現するところは恐ろしい。生首は幻ではなくてそこに存在しているので、吾一はそれを布でくるみ、窓の外に落とす。それから外へ出て回収しようとすると、既にもう消えている!恐ろしいのはその次で、部屋に戻ると生首も戻っているのだ。吾一は、カーテンか何かで再び生首をくるむのだが、もう恐怖にとらわれてまともではない。心配する妻の前で、くるんだ生首をひっぱって階段を下りてくると、生首がゴトンゴトンと大きな音を立てるのも猟奇趣味最高潮で、その尋常でないさまは妻にも伝わって、彼女にも恐怖をもたらす。夫が明らかにおかしい行動を取っている、しかも異常に怯えている。妻の表情と芝居には、この場面では異様なリアルさがあって、これが異常事態に緊迫度を増している。

悪人は、他に岸田森、原良子、渥美國泰、荻島真一だが、全員が見事な怯えぶり、死にっぷり。低予算(であろう)の作品を、俳優たちの演技がしっかりとカバーしている。そう、ホラー作品でもうひとつ大切なのは、俳優の怯える演技なのだ。素人では、フィクションにおける恐怖なんて表現出来ないのである。

渥美國泰の悪人ぶりは、当時のドラマではお馴染みとも言えるけれど、改めてみるとこの人は滑舌がかなりしっかり、はっきりしているんですね。流れるように言葉が発せられる感じで、なるほどそれが、悪役の強引で強い物の言い方にうまく作用していたのだな、と思わされる。荻島真一は早くに亡くなってしまったが、2時間ドラマではよく犯人や悪人を演じていたなあ、と遠い目になる。

荻島真一というと、全く関係のない話だが、「今日もワクワク」というバラエティ番組が1985年にあって、荻島さんはそれのレギュラー回答者だった。すごく覚えているのが、司会の片岡鶴太郎に、「顔が大きいのはうらやましい」と言っていたこと。鶴太郎が「嫌ですよそんなの」と反論すると「俳優は、大きい方がいいんだ。僕みたいに小さいと、舞台に立つと全く目立たないんだよ」と、まあそんなようなことを言っていた。へえそういうものなんかな、と思ったので、記憶に残っているのだろう。

バラバラ殺人ということで思い出したのは、「怪談バラバラ幽霊」。ピンク映画だがちゃんとした怪談映画である。あくどさでは、「呪いの手」にも引けを取らない悪人どもが遺産目当てに女性を殺害、海辺の洞窟で遺体をバラバラにする。モノクロ映画(厳密にはパートカラー)だが、低予算ということもあって非常に安っぽく、しかしその安さが浅ましい安い犯罪と人体バラバラ描写に暗い輝きをもたらすという異様な映画だった。あの映画を、多少は下敷きにしたのかどうか。「生首情痴事件」には、円谷のスタッフもいたという証言もあるから、なかったと言い切ることも出来まい。そして「怪奇大作戦」の「散歩する首」へ、それが「白い手美しい手呪いの手」と繋がっていると思うと、楽しいではありませんか。

季節も季節なので、これを2017年の夏のホラー映画まつり第1回としたい。