眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『バイロケーション』をみる


脚本・監督は安里麻里

原作小説は(法条遥)ずいぶん前に買っていたのだが、読まないまま、映画を先にみた。

もうひとりの自分という恐怖の対象が襲ってくる脅威に、どう対処、撃退すればいいのか…。生きのびるために集まってきた面々は、だが、何か後ろ暗いところを皆隠している。バイロケと闘う映画だと思っていると、実はそうなんだけど、それだけではなく…。

滝藤賢一↑演じる左遷された刑事、登場時の、水川あさみをみる表情も普通ではないのだが、彼のバイロケの恐ろしさはなかなか強烈。男がほぼ無抵抗の女性をボッコボコに殴りつけるという描写は、ありそうで意外とないのではないかと思ったのは、ここでの水川あさみに対する拳の連打がむちゃくちゃ怖いから。こういう恐怖を映画をみていて感じたことはないんじゃないか。男が男から殴られるというのは普通にみるし、相当バイオレントなことになっても割と受け入れられると思うのだが(映画で、ですよ)、これはショッキングな描写だったな。滝藤刑事の物凄い笑い顔はやりすぎて普通なら笑ってしまうところだが、煙のように消えていくところにその顔が重なると不思議と恐怖の方が強く、いやな気持ちが残るのもいい。後半にある人物が白昼に刺殺されるのだが、ここも通り魔による凶行にみえて大変凄惨で恐ろしい。安里麻里には、そういう殺伐さを描き出す力があるんだろう。今回はホラー映画だが、もしかすると実録系犯罪映画を撮るとかなりいいのではないだろうか、と想像したが、映画としても、それらの描写だけが突出した異常な映画だけに終わっておらず、ドラマがきちんと綴られている。バイロケが出現したことで、自分の内面と向き合わなくてはならない状況に追いやられ、追い詰められていく人たち…。水川あさみは、絵(画家を目指している)と、家庭(夫)との間で揺れ動く不安定な状態にあり、バイロケによってさらに生活が恐怖に浸食されていく。夫の浅利陽介がひたすらやさしい人物であることで、水川あさみの混乱、戸惑い、慄きが際立つ。二役の表情の違いも終盤ではっきりと演じ分けてみせ、なかなか。気付くこと、受け入れること、それが出来る人と出来ない人、出来ても道を誤ってしまう人…。誰にとっても決して他人事ではない身近な心理的葛藤のついてのドラマなので、怖がらせだけの映画になっていないのだった。ホラー映画の不気味さと、ごくごく普通の人たちの日常の中の葛藤がいい按配で混じりあう。ラストシーンのある意味そっけないほどの描写が切なくも美しい。

ホラー映画としては、あまり怖がらせ方が上手ではなく、びっくりさせるタイミングも甘いので、珍しく一度も飛び上がることがない。が、これはわざとではないのか。撮影においても、カメラをあまり動かさず、カットもあまり割らないのも、騒々しさを避けた感じがあり、ホラーよりもミステリとして、またドラマとして見せなければならない要素が強く、そちらをじっくり描くと、こけおどしのような描写が邪魔になると考えたからではないか、とも思えるのだが。終盤の展開は、微妙におかしく感じていた描写の違和感が氷解していく面白さがあり、ミステリ映画と呼んでいいカタルシスがある。『ルームメイト』同様、表向きのパッケージの奥にはミステリ魂がたっぷりつまっているので、その手のものが好きな人には見逃してほしくない。

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