眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「新 感染 ファイナル・エクスプレス」 感想

監督/ヨン・サンホ

あらすじ 
ファンドマネージャーで多忙なソグ(コン・ユ)は、一人娘スアン(キム・スアン)にせがまれて、別居している妻の元へと、父娘二人で釜山行きの高速鉄道に乗り込む。まもなく乗客は、各地で無差別暴動が発生し、軍が出動するほどのパニックになっていることを知る。緊急事態であることが察せられる中、発車寸前に車内に飛び込んだ女性が突然乗務員に襲い掛かる。噛みつかれた人間も即座に凶暴化し、車内は一気に地獄の様相を呈することになっていく。

感想
「28日後…」以降の走るゾンビを踏襲しつつ、その発展形である「ドーン・オブ・ザ・デッド」も咀嚼し吸収し、さらに明らかに「ワールド・ウォーZ」を受けて登場したゾンビ映画。「アイアムアヒーロー」(おそらく原作の方)にもインスパイアされていると監督は発言しており、ここ最近のゾンビもののエッセンスを出来る限り持ち込んだ内容になっていると思われる。

走る列車にゾンビを乗せるという、ありそうで例の少ない展開に、往年のパニック映画と列車アクション映画という二つのジャンルを加えるがっちりとした厚みのある娯楽映画としての強度が圧巻。序盤は静かに始まるものの、パニックが生じてからは、ほぼノンストップの疾走感。中心となる人物たちには捨てキャラに相当する人物はおらず、それぞれに血が通った描写がなされているため、犠牲になる者が出る度に、「ああ…」と思わず息を漏らしてしまう。そのあたりの容赦のなさ、非情さは、昨今の日本の娯楽映画にはないもので、圧倒される。その非情さが、人生の無情を一瞬にして醸し出す辺りも素晴らしい。

中盤で、一旦列車を止めて駅で乗客を降ろすという展開は、今となっては常識となった感じがあるが、これもよかった。古い話になるが「パッセンジャー57」をみたとき、一回飛行機を地上に降ろして乗客も降ろして、地上で一度アクションを見せた後、再び飛行機を飛ばすという作劇に驚いたりしたのも懐かしいが、如何にノンストップの状態を維持し映画を停滞させないかという見せ方、観客を絶対飽きさせないという気概が見える。

なんとか再び列車に戻るものの、ソグとスアンは別の車両に乗り込むことになってしまう。ソグと行動を共にするのは、ゴツイ体のサンファ(マ・ドンソク)、高校野球の選手ヨングク(チェ・ウシク)。サンファの身重の妻ソギョン(チョン・ユミ)は、スアンと一緒に13号車のトイレに隠れ、ヨングクの恋人候補ジニ(アン・ソヒ)は15号車にいる。娘に、妻に、恋人に会うためには、9号車から13号車へ、そして15号車へと車内を移動すればよいが、途中にはゾンビ化した乗客がいる。どうするか…?突破するしかない!特に、マ・ドンソクの肉厚な体の持つ説得力たるや相当なもので、ほとんど武装もせずに蹴って殴って血路を開くという凄まじさ。ゾンビ化した人間たちは、動くものに反応するため、トンネルに入って暗くなると、動いているものをうまく認識できないらしいことや、音には敏感に反応すること、といったことが判明していき、それを逆手にとって少しづつ前進していくのも面白い。この辺りも「ワールド・ウォーZ」の終盤を思い出させて、あの映画が与えた影響の大きさを感じずにはいられない。

さらにその先に待つのは、エゴ意識丸出しの人の醜さで、バス会社の常務だというヨンソク(キム・ウィソン)が強烈な悪役ぶり。生き延びるためには他人がどうなろうと知ったことかという、自己中心的過ぎるどす黒さ。ゾンビ映画でいうならば「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」におけるハリー・クーパー(カール・ハードマン)のずるさを思い出させて苛々させてくれる。が、ヨンソクが最初に登場したときには、常識人として描かれている。ごく普通の人も、極限状況下では鬼のように変貌するということなのだろうな。

それとは逆の方向に変わるのがソグ。スアンはパニックの中でもご老人に席を譲ったりする、実によくできた子供なのだが、ソグはそんなことをするなという。こんな時には人にかまわなくていいのだ。と、スアンは「どうしてそんなことをいうの」と父を悲しい目で見つめるのである。感染者が殺到してきたときも、逃げてくるサンファの目の前で扉を閉めるといった行動を取り、ファンドマネージャーの立場を使って知り合いの軍人に連絡を取って自分とスアンだけが助かる道を選んだりと、やり手で成功しているビジネスマンの「おれはエリートだから何をしてもゆるされる」的な思い上がりが鼻につく。が、この極限状況の下、娘を助けるというその一点だけが彼が生き延びる理由となり、そのために邪魔をするものに立ち向かうようになると、共に戦う者たちとの連帯感も生まれて、ある種のヒーロー的な役割を担うようになっていく。この感染症が、自分たちが守った会社のトラブルから起きたらしいことが部下から伝えられる場面が印象的だった。「僕は言われたことをやっただけだ。僕の責任ではありませんよね」と涙声で訴える部下に「君は悪くない」と力なく、しかし優しく言うソグ。身に降りかかった火種の背負いきれぬ重さを感じさせる表情がやるせない。必死にやってきてこれか、という絶望。そして滑稽さ。これらを踏まえての、ソグの変貌。人が変わっていくことの明暗の差がドラマティック。

果たして誰が生き延びるのかというサスペンスを持続させたまま、途切れることなくラストまで向かうさまが素晴らしい。そして思わぬ感動も待ち受けているのだが…。が、そこに関しては、少々不満が残った。「父と娘の別れ」という感動的なクライマックスとなり、ことにキム・スアンの達者な芝居に思わず釣り込まれてしまうところだが、ちょっとお涙頂戴に走りすぎではないか…と。そこに至るまでは、人の死が割とそっけなく描写されていたのに、突然思い入れたっぷりな見せ方になるのも辛かった。が、一方で「泣ける」「感動的」というキーワードが露出した宣伝や感想を目にする機会があり、それがネックとなったという気もしている。何も知らずにいれば、このラストは予期せぬ不意打ちとして素直に受け入れられたのではないかとも思うのである。「ハロー、ゴースト!?」のようなベタな映画に感動する人間だし。周囲の観客からは、鼻をすすったり、目元をぬぐったりする様子が見受けられただけに、一人取り残されたような気分になってしまった。が、やっとこさたどり着いた終着点で、スアンが泣きながら歌う「アロハ・オエ」には、ぐっときた。父のために覚えたのに、父が来ないために学芸会で歌うのをやめた歌を、今、ここで歌う。思いと歌詞が重なって、感動的なラストシーン。

VFX的には、さすがに「ワールド・ウォーZ」レベルとは言えず、若干粗目に見えるのは仕方なし。が、雪崩をうって走る感染者群のスピード感は、二番煎じとはいえ強烈。「ワールド・ウォーZ」と共通するところと言えば、もうひとつ、残酷なショットがあまりないことだろう。ゾンビの脳天を打ち砕くといった描写はなく、ゾンビが死ぬといった場面はないのではなかろうか。噛む、血が飛ぶ、といった場面はあるけれども、かなり抑制されているように思えた。事実、指定もついていない。小学生でもみることが出来るのである。

昨年夏、日本以外のアジアの国々では、この映画が巷を席巻していたのだなあ。1年も経ってからというのは、いかにも遅いけれども、こうして大きなスクリーンで見られたことは全く喜ばしい限り。配給会社のツインとしては、公開規模から考えても、おそらくかなり高額な買い物だったと思われるが、その決断がどうか報われますようにと祈りたい。

ScreenXでの上映もあり。

そして前日譚となるアニメ「ソウル・ステーション/パンデミック」が9月30日(土)公開。

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