眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「デッドストック 未知への挑戦」第2話 感想

あらすじ 
ビデオの映像。人形を供養するときには魂を抜かなければならないと語る寺の住職。と、ディレクターと思われる人物が、撮影を遮る。「ここにあった人形が無くなっている!」。動揺が走る中、女性の悲鳴が聞こえ、カメラがそちらを向くと、スタッフが人形に抱きつかれている!騒然とする現場の映像は、突然そこで切れてしまう…。

この映像を見つけた大陸と早織。しかもこのときの人形は焼かれることなく、今もあるという雑誌記事もあり、早織はさっそく寺へ取材へ行こうと盛り上がる。現在の住職は、「あの人形は生きている。魂を抜いていないから、今も動く」から、撮影はさせないという。しかし、しつこく食い下がる早織に、住職は写真の撮影だけは許可するのだが、その際に「情けをかけてはいけませんよ」と二人にいうのだが…。

感想
第2話にして、もう最終回レベルの恐怖ではないだろうか。人形というのは、当たり前だが人型なので、それが動き出すと想像したときの異様さはあまり考えたくない気持ち悪さである。人形が動く系の怪談もたくさんあるだろうし、ドラマや映画もたくさんある。どれもが不気味で嫌な気持ちになるものである。この脚本家たちの、この手の、人形が動き出す系作品をみるのは、都合三度目だと思う。ドラマ「古代少女ドグちゃん」のラブドールの話。映画「七つまでは神のうち」の市松人形。もしかしたら、ホラーものでは大量の作品を描いている人たちなので、他にもいろいろとあるのかもしれないが、強烈な印象が残ったものとしては、それらが記憶に鮮明である。

監督はそれぞれ違うはずなのに、カットがわりで「ドーン!」と人形が出る、アップになる、という演出は似通っているのだが、偶然か、脚本の指示か、それとも恐怖感とびっくり感を出すにはそれが定番ということなのか…。と思っていたら、3本とも三宅隆太だった。そりゃ似るわ。しかし例え定番であっても、ちょっとやりすぎなくらいの怖がらせ方で、心底驚かされてしまった。特に、スタッフルームに帰った二人の元に、住職から電話がかかってくるところ。「人形がいなくなってしまった。おそらくあなた方のどちらかが情けをかけたせいで、くっついて行ってしまった」という世にも不気味な内容だが、はっと二人が振り返ると、さっきまで何もなかったはずのテーブルの上にあの人形が!撮影では、芝居をしている俳優二人の背中越しに、スタッフが人形を置いているだけだ。それだけの作業にしか過ぎないのに、絵面のインパクトの恐ろしさは絶大である。しかも二人が目を離した隙に人形は逃げてしまい、パタパタという足音が、建物の奥に消えていく…。スタッフルームからみた旧社屋の廊下の奥は、闇が深い…と感じさせるおぞましさあふれる撮り方がされていて、ますます恐ろしい。そもそも、人形がどうして作られたかの経緯も悲惨すぎて辛いのだが、娘の魂を宿した人形が母を求めて女性に取り憑き、一緒に死のうとするのも、理不尽さが強くて嫌な気持ちにさせられる。ビルの屋上から人形と共に飛び降りる寸前の早織を、なんとか救う大陸だが、彼だけが見る、人形の恨んでいると言いたげな、怒ったような、悲しいような一瞬の表情の変化も怖い。そして、この一瞬のために違う顔を作った手間を考えると、ドラマに対する好感度は大変高くなる。

しかしながら、一番恐ろしいのはラストだろう。お寺でこの人形のお焚き上げが行われる。ところが焼かれる棺が、突然ごとごとと動き出すのである。結局、魂を抜かないまま焼いてしまったのだ。この残酷、この無情。そこに魂があり、生きているというのなら、棺の中で生きながら焼かれ「お母さん」と泣き続ける娘というのは、なんともやりきれない気持ちになってしまう。こればかりは、テレビをみながら思わず合掌してしまった。

第2話でこの出来栄えに到達してしまった今、あとは惰性となるのか、それとももっと恐ろしくなるのか…。他にも、佐山が抱えているらしい何か(しかもそれは期限付きのものらしいのだが)についても気になるし(飲み屋のママとして筒井真理子がちょろっとだけ出ているが、今後絡んでくるのかどうか)、大陸がこまめに母親に電話する場面が今回もあったが、第1話でのどうにもうつろな母親の様子からして、既にこの世の人ではないのでは?という想像も出来たりして、不気味な要素はまだそこに横たわっている。