眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「星空」 感想

監督/トム・リン

あらすじ
両親の不仲に心を痛める少女シンメイ。ある日、彼女のクラスに転校生がやってくる。スケッチブックを片手にした少年ユージエのあとをつけたシンメイは、彼が画材屋で万引きするところを目撃。思わず自分も万引きしてしまう。勝手に抱いた共犯関係は、次第に彼への好意と変化していく。

感想
権利関係のごたごたでなかなか公開されなかった、2011年製作の台湾(=中国)映画。ノスタルジックな雰囲気が濃厚なことに加え、原作がジミー・リャオの手になる絵本ということもあり、そのテイストを盛り込んだ内容で、実に可愛らしい作品になっていた。といっても、内容的にはシリアスな側面も抱えていて、単純に可愛いわけでもない。が、最終的には過去の話として処理されるため後味は悪くない。

以下、結末にも触れています。
冒頭、主人公のシンメイ(チュー・チャオ)が駅のホームのベンチに座り、ふと顔を上げると雪が降ってくる。雪は結晶の形で描かれており、それが彼女の頬に触れると、ポタリと滴が落ちる。実は滴は彼女の涙で、構内に降る雪は幻想だったと判るオープニングからして、空想癖のある少女という描き方がされる。が、何故彼女に、そんな癖があるのか。確かに、両親の不仲という現実はまだ中学生の少女には受け入れがたい現実であり、そこからの逃避のため、というのは判る。しかしそれが、絵本のような空想世界というのはどういう理由なのか。と、よく判らないまま見ていたのだが、シンメイの親は美術商だということを、映画を見終わってから知った。また、仲の良いお祖父さんも、趣味で人形や小物を作っているのではなくてアーティストだったことも。となると、彼女の空想癖の理由が、途端に明快になる。世界の名画のジグソーパズルが出てくるのは、そういうところに理由があるし、彼女には元々、育った環境的に空想を逞しくするための素養があるのだった。ここ、映画を見ているだけではちょっとわかりにくいと思うのだが、皆、理解して見ていたのだろうか。描いてあるのに見逃していたのかもしれないな…。

足が一本未完成の、お祖父さんの作ってくれた象のおもちゃ。入院したお祖父さんに会いに行こうとすると、大きな三本足の象が現れる。教室の掲示板コンテストのために折り紙を作ると、その折り紙の動物たちが列をなして、シンメイと転校生のユージエ(リン・フイミン)の後ろからついてくる。ユージエと共に、お祖父さんのアトリエに向かう列車の中からシンメイがみる、ジグソーパズルの「星空」(ゴッホの「星月夜」ではないの?誰もあまり言ってないようだが…。あえて言うまでもなし、ということ?)が世界一杯に広がる車窓の風景。単に逃避というのではなく、心が悲しいときや、昂揚するとき、それぞれにあわせて彼女の空想は大きく広がる。それを絵本のような幻想的なタッチで映像化しているところに、原作が絵本であることを、劇映画の中でどう生かすかとちゃんと考えているところに、作り手の誠実さをみる。

一方で、台湾の学校や日常の描写にはリアルな空気がある。ユージエが生意気だと言われていじめられるのも、いじめっこのいやがらせがエスカレートするのも、学校内のあれやこれやの空気には、生々しい現実の匂いがある。特に、ユージエの父親がDVによる虐待を繰り返しているという話には、陰惨な印象は免れず、母親の物憂げな表情と合わせてなんともやるせない気持ちにさせられる。にもかかわらず、シンメイに対して次第に心を開いていくユージエの、その素直な表情にも胸打たれ、劇場の片隅でぐっとこみあげるものを押し殺すのである。

あるいは、シンメイが母親に誘われて外食に行き、唐突に母に踊ろうと言われる場面も印象的。ふたりして踊ると、最初は客たちも微笑ましくみていたのに、シンメイがやめてもひとりで辛そうに踊る母親の姿に、皆がなんだかいたたまれなくなる。そんな母の姿をじっと見守るシンメイ。なんともきまずい感じ。身の置き所がない感じ。つらい。

現実の生々しさを逃げることなく描くことで、青春時代の明るい面だけに光をあてず、迷い悩む内側の暗さにより重点を置いている印象。映画自体も思いの外、夜の場面が多い。むろん、「星空」に向かっていく物語なので夜は重要にはなるだろうけれど、シンメイの家の様子や、夜の街のひんやりとした空気感(夏なのだが)など、夜と闇が抱えている静けさや孤独感がひしひしと伝わってとてもよい。しかしその夜は、暗さで心を塗りつぶしてしまうのではなく、人々と寄り添うように描かれているところが美しいのである。

後半は、シンメイとユージエがふたりでお祖父さんのアトリエへ向かう。そこでみた星空を、ユージエにも見てほしいという思いからである。このふたりの道行の場面もとてもよい。シンメイよりもユージエの方が、相手を異性として意識しているよう。過去を離そうとしないユージエに、シンメイが、いじわる、けちんぼと言って、小川にさらした素足を踏むところ、胸がキュンキュンします。教会で着替えるところもよかった。字幕ちゃんとみました?「エッチ」ですよ、「エッチ」。なんかもう涙出る。お祖父さんのアトリエがまた可愛らしいインテリアでまとめられていて、素直に住みたい、と思う。深い森の中に、沈むようにひっそり建つ姿は、絵本の中の世界のようで、本当に素晴らしい。そうそう、このやさしいお祖父さんを演じているのは、ケネス・ツァンである。「男たちの挽歌」のキンさんだが、悪役も結構多い。が、ここでは孫娘が可愛くて仕方ないという感じで、ふたりのやりとりなどとても微笑ましい。

雨に打たれたために、熱を出してしまった中でシンメイがみる夢では、ユージエも、両親もジグソーパズルのようにばらばらと崩れていくのに、お祖父さんだけが彼女をしっかりと抱きしめる。現実としてまだ目の前にある友人や両親の問題は、しっかりと受け止めることが、今の彼女にはまだ出来ない。が、その焦燥感や絶望感は、今やこの世のいないお祖父さんが抱きしめて慰めてくれるのである。現実を受け入れようとしても自分の許容力が満たないために叶わず、それがパズルの崩壊という形で現れる。が、それは現実に向かうという意思の力があるからこその崩壊であり、決して逃げではない。これはシンメイの決意であり、お祖父さんはそんな彼女を救うために現れるのだ。お祖父さんの夢は、シンメイが望んだからだけでなく、アトリエに今もいるのであろう、お祖父さんの魂自身の願いだからこそのものだった、と思うのである。

何にもまして感動的なのは、無くしてしまった「星空」のパズルのワンピースが、どこかの誰かから封筒で届けられる場面。最後のピースがぱちんとはまったとき、シンメイはやっと、現実と折り合いをつけるのだ。だからこそ、ラストシーンでの、最後のピースがはまっていないパズルをみつけたときのシンメイの衝撃。その店のどのパズルも、最後のひとつが入っていない。「星空」の一番明るい部分が最後のピースだった。届けられたピースは、一番大切なものを、あなたに贈るというメッセージだったのだ。だから送り主の心には、ずっと穴があいたまま。その穴を、ようやく埋めるときがくる。そんなラストシーン、泣かずにいられますか。このエピローグ部分は、グイ・ルンメイが出演しているのもうれしい。

音楽が、world's end girlfriendだったこともうれしかった。好きなんですよ。映画音楽としては「空気人形」があったことも大きいんだろうけれども、ここへオファーしてくれたことがうれしい。

映画のエンドクレジットに、原作と思われる絵が登場するのだが、これによると絵本と映画とでは、結末の付け方が違うようだ。原作の方が、より厳しい…というよりも、自分の足で立つ、という意味合いが強そう(部屋の前に、何故か犬が捨ててある?贈り物かな?映像だけでは判らない…)。映画は、更にその先に結末を置いた感じもする。原作と比較すると、よりハッピーエンド要素が濃いのかも。いずれにせよ、ホッとするような結末になっている。

このエピローグ部分は、確か数年後という設定だったと思うのだが、ここを現在(2011年)とするなら、物語は逆算して5年前程度。だとしたら2006年あたりになるのだろうか。シンメイは7年生だが、(物語の最後で)高校生になるのは2009年になる。両親の離婚が2007年、母親が外国へ行って再婚し子供を産んだのが2008年とするのなら、その子は2011年でちょうどあのくらいの感じになるかな。となると、あの再会と思われるラストは彼女が18歳前後のときになるが、グイ・ルンメイはだいぶ年齢高いよね…と変なことを考えてしまう。いや、無粋なことなんですけども。