眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「グレムリン」 感想

監督/ジョー・ダンテ

あらすじ
チャイナタウンで買ってきた謎の動物モグワイ。「光に当てない」「水をやらない」「夜中の12時過ぎに餌をやらない」という3つの約束を守らなかったことで小さな町は大パニックに。

モグワイが一切映らない予告編。しょうがないけども。

感想
久しぶりに見た。モグワイというかギズモの顔が、かわいいときと不細工なときがあって、そこがまたキュートなのがよい。中盤からホラー映画のテイストが強くなるところは、今見ても不気味でよろしく、クリスマスの夜なのに人影が消えてしまった町の様子には、ホラー的な詩情すら湛えた感じがあってとてもよい。

基本的に、救いのない悪意に満ちた物語になっているところに、単純なファミリー映画ではないブラックな味わいがあって、その毒こそが子どもには強烈な魅力になり得るのではないかと思った。クリスマス・キャロルになりそうでならなかったり、サンタが煙突内で死んでいるというグロテスクな話があったり、「ちょっといい話」に全くかすりもしない。

個人的に衝撃の度合いが結構大きかったのは、ザック・ギャリガンの父親(ホイト・アクストン)が、最初から最後まで全くのダメな大人としか描かれないこと。そもそものきっかけとして強引にモグワイを買い、3つの決まり事も後から説明し(カメラのフラッシュでギズモを殺しかける)、発明展みたいなのに出かけて行って、町が大パニックになっていることも知らずにふらふらとし、しかも何の成果も挙げられずに落ち込みながら帰宅するという、何一つとして、大人がするべきことをしないままなのである。完全無欠の無責任である。驚いた。

加えて、主人公や周辺の人間たちの、状況を甘く考えすぎなところにもびっくりする。危機に対する感覚が鈍すぎる。こういう大雑把さで物事を捉える人たちは困る。特にザックは、テレビで「ボディスナッチャー/恐怖の街」をみているのに。クリス・コロンバスジョー・ダンテも、オタクのはずなのにこの状況に対する無関心ぶりには納得がいかない…と思いながらも、オタクがその知識を使って敵に対抗するようになるのは、この後の時代だったのかもしれないな…という気もする。ザックが漫画好きという設定も全く生かされていない。

そしてこの映画の白眉は、中盤のグレムリンたちがバーで大騒ぎするシークエンス。特殊メイクのクリス・ウェイラス獅子奮迅の活躍ぶり。フィービー・ケイツが一人でグレムリン相手に奮闘する場面だが、非常に手間のかかった撮影であったろうことが判る手作りの味わいが素晴らしい。本当に原寸大のモデルを使ってスタッフが動かしているのがありありと判るアナログさ。当時よりも、今見た方が楽しい。懐かしいというのではなくて。当時はこの表現しかなかったから、こんなもんか程度に終わっていたのだが、今やCGが普及してなんでも見せられるようになったことで、人力の良さが、CGとは違う表現として理解できるようになったのではないかな、と思う。

今回の字幕(2017.11.28.(火)BSプレミアム)は古田由紀子さんの手になるもの。ヤムヤムはそのまま残っているが、やたらウンチと表記されているのがおかしかった。あと守銭奴のディーグル夫人のところにグレムリンが現れる場面の字幕、劇場公開時は「お迎えが来た、お迎えが来た」(2回繰り返したと思うのだが)だったのだが、今回は「地獄からの迎えが来たのね」だった。笑いという点では、前者の方が面白いと思う。「(あんなものが見えるなんて地獄からの)お迎えが来た」と、省略した形にしたことで緊迫した状態が表現されると同時に、唐突な言葉使いのおかしさが前面に出て、強烈に印象に残る字幕だったのだ。場内で笑っていたのは、わたしと友人だけだったけれども。

公開されてすぐに観に行ったのか、記憶が定かではないのだが、とにかく満員だったことは覚えている。梅田東映パラスだった。中盤でホラーテイストになってくると、まさかそういう映画とは知らなかったであろう年少観客が固唾を飲んで見ているのが微笑ましかったな。懐かしい。