眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「バトルランナー」 感想

監督/ポール・マイケル・グレイザー

あらすじ
西暦2017年(今年だったか…)。管理体制下におかれたアメリカでは、囚人や犯罪者を逃し、ハンターが追いかけてぶち殺す「ランニングマン」というテレビ番組が大人気。ベン・リチャーズ(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、無抵抗の民間人に向けて発砲するのを拒否したために逮捕、投獄される。でたらめの罪を着せられたベンや仲間の囚人たちは、団結して暴動を起こし脱獄するのだが…。

感想
公開時。バイト先で面白くないことがあり、その帰りにむしゃくしゃした気持ちを抱えて観に行ったところ、意外と面白かったなという印象だった。が、今振り返ってみると、シュワルツェネッガーのキャリア的には、あまり上出来とは言えない内容だったような気もしていたのだが、きちんと再見してみると(テレビの吹き替えでカット版だが)、やっぱり「意外と面白いな」という感想になった。期待値が低いせいもあるのだが、手堅いアクション映画になっているので退屈しないのである。ヤフェット・コット―が出ていたことなんてすっかり忘れていた。監督は、ポール・マイケル・グレイザーだが、今も映画やドラマを撮っているのかどうか、俳優業はやっていないのか。

製作当時よりもずっと酷いことになっている2017年なので、ディストピアものとしては、荒唐無稽な世界観とは言えどもうすら寒さ度は格段にアップしているのが、実におっかない。しかもその世界観が結構ぺなぺなの張りぼて風なのも、現実の薄っぺらさと二重写しになっている感じがあり、ますますげんなりとさせてくれる。

何より「ランニングマン」という番組が甘すぎる。現実のリアリティテレビのありようと比べると、殺人ゲームが現実になった時には、この作品程度の追い詰め方では視聴者は満足しないだろう。徹底度が甘っちょろい。また優勝者たちの死体が、すぐそばに捨てられているのもずさん過ぎる。危機管理がなっていないところにも、適当な番組作りで視聴者を辟易とさせる現実のテレビがダブってくる。さらに政府が人民の統制に一テレビ番組の力を借りているというのもぺなぺな過ぎるというものだが、愚かな政権の愚かな政治をみていると、持ちつ持たれつのしょぼい関係にも変なリアリティを感じてしまうのだ。捏造や偏った報道など、今や世界中で嫌というほど目にする現実である。観客や視聴者の調子のよさも現実世界の人々の熱狂とダブって見えて、よくある娯楽映画でしかなかったのに、意外と核心をついているのかもな、という気もしてきた。

映画自体は、思っていた以上に低予算らしく、こじんまりとした作りだったのも再見して判った。逃げる先が荒れた土地だが、出発してから、抵抗組織のアジトまでそれほど距離があるように見えない。ごく小さな地域でのやりとりにしか見えないところにもスケールの小ささが明白である。敵も軒並みしょぼい(手作り感はある)ので、あまり激闘という感じがなく、アイディアを駆使して戦うという趣向もなく、そのあたりはシュワルツェネッガーの筋肉による肉弾戦の面白さ重視になっているが、当時はそれが求められたので仕方がない。でも、敵が結構あっさりとやられていくのは、もったいないと思うのである。

以下、ちょっと長くなるが、面白いなと思ったポイント。それは、シュワルツェネッガーとマリア・コンチータ・アロンゾの関係。脱獄して弟の部屋に上がり込んだら、そこには今、マリアが住んでいた。弟は逮捕されたらしいのだが、入室する際のコードが変わってないというのは無理がある。いや、そんなことはどうでもいいのだが、シュワとマリアは、なかなか友好的な関係にはならないところがとても面白いと思った。前半では、マリアは人質としてシュワに利用されるだけである。その後、空港で獲っ捕まる際に、シュワが周囲の人々に銃撃して死亡者が出たというでっちあげのニュースをみて、マリアは初めてシュワの言っていたことを信じ始める。セキュリティの部署に忍び込んで、シュワが逮捕されるきっかけとなった無差別殺戮のオリジナルビデオを探すまでになるのだが(この部署のセキュリティが甘すぎるのも笑う。が、慢心しているとそんなことにもなりそうである)、かといってランニングマンに強制参加させられても、シュワとマリアの仲が深まることはない。シュワはマリアに対して口が悪く、扱いも乱暴である。一方のマリアもまるでシュワに心を許していない。ただ共に逃げるという関係だけなのである。逃げる途中で心が通い合ったりしない。無事に逃げおおせて、逆襲に転じる前になって、ようやく互いを認め合うことになる。最終的にはラストは二人のキスシーンとなるのだが、喧嘩しながらも惹かれ合うという繊細な描写は一切なく、心通わせるところも恋愛感情ではなく友情のように見え、しかし突撃直前の「がんばって」「そっちもな」のやりとりだけで恋愛感情を匂わせるという、一見、非常に強引な見せ方になっている。

が、シュワが反応したのは、戦うことを決意した女性、という見せ方になっている点に注目したい。彼は、現実を直視し戦う女性こそを対等な存在として認め、そういう女性にセクシャリティを感じるということである。彼女の本気が見えたとき、初めてシュワは反応するのだ。だと思えば、二人の関係の描き方にも納得がいかなくもない。戦う意識が見えない限り、どんなに美人でもシュワの興味の対象外。守られるだけの女性や美しいだけの女性ではなく、自立した女性こそが理想、という描き方は、政治家への野望を秘めていたシュワルツェネッガーにふさわしい描写だったと言えようか。

あと気になるのは、この作品の結末。これでは、あくまでもテレビ番組が崩壊しただけのようだ。民衆の暴動が起きるわけでもないので、なんとも中途半端な幕切れのように思える。が、それとも、洗脳されて政府にいいように御されている国民は、暴動も革命も起こせない、という皮肉なのかな…。