眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「トラックダウン」 感想


監督/リチャード・T・ヘフロン

あらすじ
モンタナからLAへ家出してきた娘。あっさりとチンピラのカモにされて身ぐるみ剥がされたあげくに、(高級)コールガールになってしまう。彼女の兄は、妹を連れ帰るために単身、LAへと乗り込んでくるが…。

感想
筋立ては極めて単純。ひねりなしの一直線型のアクション映画なので、余計なことに思いを巡らす必要はなし。妙に内省的になったりしないのもいい。主役であるジム・ミッチャムは、愚痴こそこぼすものの、心のうちを吐露したりなんてしないのだ。この作品全体には(あるいは70年代のアクション映画全体に言えることかもしれないが)、乾いたタッチが徹底させてあり、客観性が生かされていて(俳優のアップが少ないことも、ドラマを客観視させることに有効に作用している)、今見ると、えらくストイックで硬質な感じがする。ハードボイルド濃度が高いも言える。意外と見応えのある一本。DVD及びブルーレイ化を切望。

ひねりなしとは書いたものの、別の意味では、かなり意外な展開だった。まず、田舎娘のベッツィ(カレン・ラム)が、実質もう一人の主人公として描かれていること。家出で失踪した妹を探すその兄(ジム・ミッチャム)を主人公とした映画、という思い込みもあるけれども、彼の捜索の様子と並行して、ベッツィがチンピラに売られ、コールガールとして客を受け入れていく物語が描かれていく。映画の冒頭からして、主たる側にあるのはベッツィの方。LAにやってきて、絵にかいたような転落に至るまでが描かれる。そこには、17歳の家出少女の転落する青春模様があるだけ。まるでアクション映画にならないことに、大変驚いた。

もうひとつ意外だったのは、チンピラグループからベッツィのバッグを奪うように強要されたチューチョ(エリック・エストラーダ)と、ベッツィが良い仲になるということ。しぶしぶやったことなので、彼には悪気はない。その上で彼女に好意を持っただけだし、ベッツィは彼がチンピラの仲間だとは知らないので、そういう関係になっても別にかまわないのだが、二人ともに、あまりに人を信用し過ぎるところに、幼さが垣間見えて切ない気持ちにさせられる。出会ったその日に寝てしまうところも、どっちかと言えば純朴そうに見えるベッツィだけに、そこにも驚きがある。

さらに意外だったのは、やってきた兄貴ジムとチューチョの関係。チューチョはチューチョで、ベッツィを奪われたことを悔やんでおり、いつも自分を虐げているチンピラグループに腹を立ててもいる。だからジムに協力するのは意味のあることだが、面白いと思ったのはジム。彼はモンタナのカウボーイだが、荒野に残った足跡や痕跡から獲物を追うハンターでもあるのだろう、実に冷静に状況を判断する人物なのだ。そのため、より有利にことを進める方策として、チューチョを傷めつけるのをよしとはしないのである。チューチョから情報を聞き出し、あっさりと協力者として受け入れて、共に妹の捜索に乗り出す。しかも関係は兄貴分と舎弟そのものみたいな感じになっていく。のんびりとした空気さえ漂わせる、奇妙な信頼関係がおかしい。

加えて意外だったことは、売られた先には先輩コールガールとして、バーバラ(アン・アーチャー)という女性がいること。田舎娘のベッツィを不憫に思って、ボスに彼女を買い取ってもらう。甲斐甲斐しく世話をして、コールガールとしてやっていくための手ほどきもする。バーバラ自身も恵まれない人生を生きて来た人物で、ベッツィの人生をなんとか救ってやろうとするのだ。コールガールという生き方が、実際に人をどこまで救えるのかは判らないが、世間的には転落のイメージしかないものが、彼女たちにとって救いとなるというところにも、青春残酷物語的な匂いがあって苦い。ベッツィが客の前で服を脱いでいく場面の、なんとも言えぬ、なし崩し的にその道にはまっていく姿などなかなか味わいがあった。

本当に意外だったのは、「サディスティックな客の暴力から逃げだそうとしたあげく、ベッツィが殺されてしまうこと。さらに、情報をジムたちに伝えたバーバラも殺されてしまうこと。ベッツィは殴り殺され、バーバラは、オーブンの中に顔を突っ込まれ、ガス自殺に見せかけて。どちらも陰惨な殺し方だ。」こんなに簡単に人は死ぬのだ、という現実を、あの頃の映画は切り取っていた感じがする。勿論、あの頃はあの頃で、簡単に殺し過ぎ、と言われてもいた。だが現実の、全く治まることのない暴力の連鎖をみるとき、至極真っ当な表現でもあったのだな、とも思えるのだ。

そして未だにこの映画が、一部のアクション映画好きの間で語り草になっているのは、エレベーターを使ったアクションシーンの見事さゆえ。エレベーター2機を使った銃撃戦というのは、色々あるだろうが、上下方向に動くことをこれほど意識的に使ったアクションシーンはあまりないだろう。行ったり来たりしながら、その間で撃ち合うというシチュエーションは、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして事件を解決するハードボイルドな物語を凝縮したような形であり、そういう意味ではこれほどハードボイルドのひとつの本質を突いたアクション描写はないのではないか、とも思えてくる。しかもジム・ミッチャムはかなり危険なことをスタントなしでやっているのも素晴らしい。ラストの一騎打ちの場面を、エレベーターシャフト内の閉じた空間から、荒野の開けた空間へと変化させてあるのも、実にかっこいい。そして何の余韻もなくエンドクレジットへ。このそっけなさもいいなあ。

主題歌はケニー・ロジャース

あと細かいところでは、後半に命を狙われてショットガンで銃撃される場面があるが、看板を楯にしてなんとか回避するものの、ジムが怪我をしているのをさりげなく見せるのもよかった。いかにも散弾がかすめた、風に見えるのが渋い。他にも面白いところがいろいろとある。家出人の捜索願を出しに警察署まで来ても、そんな小さなことにまで手は回らないと相手にしない刑事、まるで頼りにならないお役所仕事、忙しさの中で他人に対して当たり散らすソーシャルワーカー(キャシー・リー・クロスビー)と、ああ現代社会…的な、誰もが過度なストレスの中で生きていることを印象付ける描写。これは、時代を経た2017年に見たところで、何も変わってないな…と思わされる場面でもある。1976年というからには、今から41年も前の作品なのにな。

2004年の1月6日にサンテレビで放送されたものを、今になってやっと見た。2時間枠での放送なので、おそらく実質92、3分というところ。オリジナルは98分となっているので、5、6分カットされているだろう。ジム・ミッチャムは羽佐間道夫。冷静沈着に見えるのは、吹替えのおかげでもあるのかもしれない。

番組の解説は、水野晴郎。「シベリア超特急5」の頃です。カンペを見ながらの解説は、少々痛々しい。しかも監督のリチャード・T・ヘフロンを「バニシング・ポイント」を撮った人、というミステイク。往時を知る者としては、ちょっと残念な気持ちにもなるが、しかし一方で、水野先生の解説で映画をみるというのもまた、懐かしく楽しくも思えるものである。映画解説者って、いなくなってしまったんだなあ、としみじみ思う。