眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

さらば雑司ヶ谷/樋口毅宏(新潮社)


巻末にはたいてい参考文献が載せられるものだが、ここでは著者が影響を受けた作品がざっと並んでいる。映画、マンガ、小説、音楽など、詰まる所、サブカルチャーの色んな断片を集積再構築させました、と自ら宣言しているようなもの。そして、勢いにまかせて描かれていくような小説である。荒っぽく荒削りである。文体も含めて乗れる人と乗れない人ははっきり分かれるだろう。

主人公であり語り手である大河内太郎が5年ぶりに雑司ヶ谷に帰ってくるところから始まり、生まれ育った雑司ヶ谷を支配する祖母から半ば強制される形で、下水道工事中に起きたゲリラ豪雨によって作業員が死亡する事故の調査を命じられ、またそれと並行して親友・京介の死を知り、命を奪った憎き男・芳一の行方を追いかける…。ハードボイルドなあるいはノワールな風合いはあれども、少々軽い印象を受けるのはサクサクと小気味よく展開してしまうノリの良さと、サンプリングやリミックスといった再構築がうまく作用せず、影響を受けたものを丸出しにし過ぎている部分があり、そこに著者の若さが見えるからだろうか。非常に面白く一気に読んだのだが、印象としては、良く出来た習作、という感じ。

しかし、描写は非常にえげつなく、また加虐と被虐の関係がそこかしこに充満しており、それには当然愛と憎の関係が連なっている。出口を(決着を)手にするには相手を殺すとか見捨てるといった強引な手段を取るしかなく、そのために登場人物たちはやすやすとその壁を乗り越えて行く。正義はどこにもなく悪は世界の全てに染みついている。まるで光の射さない混沌とした暗黒の雑司ヶ谷で、太郎が信じるのは少年時代の思い出だけであり、それ以外はすべてがグロテスクで唾棄すべき存在であり、自分もそうであることを自覚するがゆえに辿り着く結末は、いっそ痛快で爽快とも言えて、その非情さとはうらはらにさわやかな潔さを感じるものであった。また、耳、目、小指、胼胝、尻の穴といった局部をドラマの中にパーツとして散らばし、それらが暗躍することでやがてドラマそのものが巨大な生き物…即ち、雑司ヶ谷、を形成していくような、そんな試みも感じられて、小説としての結構はなかなかの企みに満ちているとも思えた。面白い。