眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形 感想

監督は山本迪夫。1970年夏興行用の低予算作品。同時上映の『悪魔が呼んでいる』も実はスタッフは同じ。本来1本分の予算を二等分して2本製作したという。『悪魔−』は一度もソフト化されたことがないようで、私は未見。酒井和歌子主演でこれもなかなか面白そうだ。関西方面では、かなりヒットしたらしく(昔は、西の方がホラー映画は客が入るといわれていた)、このあと、「血を吸う眼」「血を吸う薔薇」とシリーズ化。

夏はやっぱり怖い映画の一本くらいは見ないとな、という気持ちで久しぶりに見た。この映画が好きな理由の一つが、上映時間が71分しかないところ。そしてこれを見たら、娯楽映画に2時間なんて不要だと心からそう思える内容なのであった。

見どころはいくつもある。怪しげな表情をたっぷりと見せてくれる高品格の不気味さ、何か隠し事をしているのがありありな南風夕子(右の顎のあたりに酷い傷があるのが恐ろしい。だけどそこにカメラはこだわらず、さりげなく見せるだけなのが上品でいい)。突然失踪した中村敦夫の行方を追いかけるその妹・松尾嘉代(ミニのワンピース!)と恋人・中尾彬。電話をかけるときにコードに指をからめてクルクル回す妙に女っぽいしぐさが気になる。そして言わば主役といってもいい、敦夫の恋人である小林夕岐子の美しさと血に飢えた殺人鬼ぶり。金色のコンタクトが妖しく光る表情もおぞましく、一方で抑圧された精神が解放されたようにも見えて、奇妙にエロティックでもある。

撮影・原一民、美術・本多好文の作りだすゴシックホラーとしての雰囲気が素晴らしい。影を巧みに使って屋敷の暗さと広がりを表現し、低予算であることを見事にカバーする仕事ぶり。不気味なもの、ことが、観客の恐怖心をきちんと煽るように設計されているのも、ホラー映画としては当たり前なのだが、実に正当な手続きで嬉しくなってしまう。今どきのホラー表現というと、POVとかフェイクドキュメントみたいな形になってしまうが、まともに作っても怖い映画になる、ということを改めて教えてくれる。また、小林夕岐子が現れる瞬間の表現は、小中千昭黒沢清、鶴田法男といった人たちが作った幽霊表現のさきがけになっているのもビックリする。ジャック・クレイトンの『回転』に影響を受けたといったのは黒沢清だったと思うが、そこから『邪願霊』あたりまでの間に、既にJホラー的幽霊表現の完成系に近づいていた人たちがいたんだなあ。

脚本は小川英と長野洋。終盤になって、「えっ?」というような話しになり、そこんところ全然憶えていなくて、心底びっくりした。夜中にひとりで声をあげてしまったわ。急激な展開に茫然とさせられるのは、主人公二人と同様。

エンドクレジットがかぶさるラストシーン、画面は止まっているようだけど、よくよくみると、止まっていない。ずっと肩がゆれている。悲しい。

山本迪夫は早くに亡くなっており、この作品について細かい話しを聞けなかったことはなんとも悔やまれる。『眼』では田中文雄がコメンタリーに参加しているけれど、文雄さんももういない…。

この映画が紹介されるときは「血を吸う人形なんて出てきません」と書かれることが多かったように思う。確かに出て来ない。出て来ないが、映画の内容に即したタイトルなのである。なかなか良いタイトルの付け方だと思っている。


この予告篇だけでも充分怖いと思う。