眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「さすらいの女神〈ディーヴァ〉たち」「ミケランジェロの暗号」 感想

梅田ガーデンシネマで『さすらいの女神〈ディーヴァ〉たち』、続けてシネリーブル梅田で『ミケランジェロの暗号』を見る。

『さすらい〜』は、ステージの様子を舞台袖から覗き見る冒頭部分の描写が既にだらだらとしており、その後も一向に筋の通った流れを作ろうとしない。熟女たちのステージで、フランス各地を放浪するようなツアー中の人々の様子が切り取られ、しかもドラマティックなこともなし、登場人物の心情を描かないため、誰にも感情移入出来ないという恐ろしい映画。状況は客観的には描かれるものの、詳しい事情はよく判らないまま、切り取られた人生の断片を見るような、そんなそっけなさとうまくいかない現実のささくれ具合を、だらだら…と眺めるような内容だった。物語る映画であろうとはまるで考えていない作劇や、その場その場の出来事の、どこに向かう気なのかがつかめない他愛のなさやしょっぱさやうらぶれた気分など、それを味わいとか人生の機微として受け取ることも無論、可能ではあり、そういうものは決して嫌いではない。が、面白いかといえばそれはまた別の問題だろう。予告編はほとんど詐欺に近いほど面白そうに出来ていたので、多くの女性客(結構入っていた)はそれにまんまと騙されたんじゃないだろうか。

確かにこういう映画なんだけど、こんな判りやすい感じのものではないねえ。もっと手ごわい映画ですよ。

ミケランジェロの暗号』は『ヒトラーの贋札』のスタッフが作った作品というのが売りになっているが、凡庸な映画だった。ナチのぼんやりした生ぬるさを皮肉めいた笑いにするほど気は利いておらず、本当はこの映画の肝の、主人公二人の複雑な心情を単純に描き過ぎたことで、感情のせめぎ合いが生まれるはずのところを大きく外してしまい、まるで奥行きのないドラマになっている。演じる二人はしかしその辺のニュアンスを掴んでいるだけに、非常に惜しい。

どうにも盛り上がらないことになってしまったが、これはこれで映画を見る面白さであり、愉しみでもあるわけよ。