眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「ヒューゴの不思議な発明」 感想

ヒューゴの不思議な発明』 於:アポロシネマ8

アポロでは日本語版しかやっていなかったのでそちらで。クロエ・グレース・モレッツのイギリス英語を聞けなかったのは惜しかったかも。

予告編を見て、ジョルジュ・メリエスが出てくると知って俄然興味がわいた。映画が好きになって色々観るうちに映画の歴史についても知るようになる過程で、誰もがリュミエール兄弟と並んでメリエスの名前を目にするはずで、そこを通過してきた人間にとってはそれだけでもう感動的な物語。まだ映画が見世物であった時代と、未だ見世物の枠を出そうで完全に脱却は出来ない3Dという表現を重ねているのは非常に意味のあることで、一種キワモノ的世界の中で、普遍的な映画的感動、芸術への渇望と切望が描かれている。振り返れば、キワモノの極みみたいなロジャー・コーマン門下で仕事をしてきたスコセッシだからこそ、その気持ちはより強固で情熱に満ちたものになっているように思えた。

主人公のヒューゴを始め、登場人物の多くは何かを奪われた人間たちだ。駅の時計塔から見降ろす世界は機械仕掛けのようで、だとすれば無駄な部品なんてひとつもないんだ、というヒューゴの言葉。その言葉が真実であるかのように、登場人物たちは次第に世界を形作るピースとしてあるべき場所へと戻って行く。ヒューゴの信じる気持ちがヒューゴの信じる世界を作るのだ。ハッピーエンドは映画の中にしかないという自嘲的なメリエスの言葉は、逆説的に、だからこそ映画は素晴らしい、という皮肉とも取れる結論を導き出すようだ。箱庭のような世界観、完結した世界、現実の結末とは違う別の結末、といった作品の指向するもの。ヒューゴの言葉、メリエスの言葉。スコセッシにとっての映画とは何か、という答えになっている。

サシャ・バロン・コーエンの鉄道公安官がとても良かった。コメディリリーフとしての扱いかと思いきや、浮浪児たちをとらえて孤児院へ送る姿はコメディとは言い切れぬどす黒さがあり、左足が義足であることや実は彼自身も辛い子ども時代があったことがさらっと語られたりしてのラスト、追いつめられたヒューゴが救われる瞬間。目の前で約束された未来、失い続けた自分の過去、ふたつがぶつかり、サシャの表情が何とも言えない複雑なものになる。ここには泣いた。