眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

9月17日(月)の日記


I'M FLASH!』 於:シネリーブル梅田

監督・脚本は豊田利晃

光になる、ということが死ぬということなのか。海の中から見上げるとそこにはまぶしいくらいの光があふれている。たゆたいながら、沈むように、浮かぶように、揺れながら、近づきながら、また離れながら…。光と共にあろうとするかのように。

交通死亡事故を引き起こして南の島へ隠れた、新興宗教の若き教祖。九死に一生を得た教祖は教団の解散を決意。しかし一族はそれを許すはずもない。そして彼の警護のために雇われた3人のボディガード…。

教祖を始め、一族も、教団関係者も、ボディガードも、教祖にナンパされた訳ありの女性も、身近に死の気配を濃厚に湛えながら、むしろそれゆえにか、おそらく誰ひとりとして、天国やら神やらあの世やらのことなど全く興味もなく信じてもいない。何もかもに目的を失い、生きることすら諦めてしまった教祖の、すべてにおいてやる気のない、なげやりな態度と行動から訪れる弛緩した日常。が、ゆるみきった中に逆にざわざわと不穏な気配が立ち上る緊張した空気。怠惰と薄っぺらさな姿と心情のその向こう側に透ける、苛立ちと諦め。光とは白い闇であり、圧倒的な死の世界であり、教祖はそれを求め、光そのものになろうとするかのように、海に浮かぶ…。死を待ちうけ、絶対的な死そのものになるために、死ぬために生きる男の話。しかし、大袈裟に言えば、彼は生きることを運命づけられた存在でもある。彼の存在とは生そのものとも言える。その彼が、死を迎えるために選んだ方法…。肯定もせず、否定もせず、まるで静かに眠るのを誘うかの如き、生きることに何も求めない、意味なんてない、ということを体現する男、松田龍平の存在。その戦いの顛末…。とそんな映画と思って観た。

その一方で、車に同乗していた女性は、彼の決断のときを待つかのように、留保するかのごとく、死に至らぬ状態をさ迷う。決断が下された時、彼女は覚醒する。そしてまたそれは、彼女との関係を生と死の狭間で共有した、いわば彼の再生でもある…。死と同時に浮上する生の実感。震災以後、ということをじわじわと感じさせる映画。