眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「007/スカイフォール」 12月31日(月)の日記

アポロシネマ8で『007 スカイフォール』を観る。

今月はテレビで『カジノ・ロワイヤル』『慰めの報酬』が二週連続で放送されたおかげで、じゃあ続けて『スカイフォール』も観ようかと気分が高まった。ボンド映画にも最近はめっきり関心が湧かなかったのでちょっと嬉しい。007を年末から正月の間に映画館で観る、というのは、ノスタルジー的な気分もあってそれも嬉しい。

映画としては、前2作共々のシリアス路線。また非常に重い内容であり、007映画を能天気な、SF志向のあるスパイアクションと思って観て来た人間には辛い内容になっている。わたしなどは完全にロジャー・ムーア世代なので、個人的にはこういう007には正直違和感を覚える。しかしそれと映画の出来栄えとは関係がない。むしろ007という枠が邪魔になってしまっているのではないか、と思うほど、サスペンス映画としてはかなり上出来。恨みを抱いたサイコがかつての上司に復讐しようとして接近、その上司を守るために警護の人間が必死に戦う…。という映画だったならば、これはもっと絶賛を持ってもっと多くの人にも喜ばれただろう、とは思うものの、一方で007という枠の中でやるからこその面白味も確実にあるので、そこはまあそれぞれの思い入れの差になるんだろう。だけど思い入れ、なんて意固地にならずにもっと気楽に観た方がいいと思いますけれどね。

冒頭のグランバザールの屋根をバイクで走り回るところ、猛烈に燃えたな。パルクールを取り入れたアクションは色んな映画で目にするが、とうとうバイクでそれをやるようになってきたか、と。更に特筆すべきは編集が『カジノ・ロワイヤル』のスチュワート・ベアードに戻っていること。『慰めの報酬』はマット・チェシーとリチャード・ピアソンで、ピアソンはポール・グリーングラスと組んでいたこともあってあのやかましい細かいカットの積み重ねでアクションを見せていたのだが、そのせいで何をやっているのかさっぱり分からないという弊害を生んでいた。今回は王道のアクション編集ゆえに引きの画が効果的に生かされて、しかもスピード感を削がない絶妙のテンポとタイミングで構成されたアクションシーンになっている。これは中盤の審問会の襲撃、クライマックスの一軒家での対決といったアクションでも同様で、痒いところに手が届く、見たいところを外さない的確さだ。撮影のロジャー・ディーキンズは後半のスコットランドの場面にその懐の深いところをみせ、荒涼たる大地、その中に建つ古い邸宅、その邸内の自然光を使っているのかとも思える薄暗さが見せるクラシックな味わいなど、とにかく美しい。館が爆破されて、燃えさかる炎をバックに、シルエットとなった人の影の美しさも特筆してもいい。ボンドの両親が眠る小さな教会の中、画面に背を向けてしゃがみこんだボンドと、右端で頭を垂れるアルバート・フィニーのカットには一種の宗教絵画的な厳かさがあって、激烈で悲劇的なドラマの締めに相応しい映像的な厚みがあった。そういうことも含めたうえで、サム・メンデスが監督している意味もあったというものである。

他、『アストン・マーチン登場と同時に鳴るボンドのテーマの高揚感、ギアについた赤いボタン、ヘッドライト(ではなかったか)から出る機銃掃射、そしてラストのあの人たち』と、007ファンに対する目配せも楽しいところ。特にラストはちょっと感動に近いものがある。ここから新しいボンドの始まりか。と思いながらも、ダニエル・クレイグがこれで降りてしまったらどうするんだろう。また一からなのかなあ。それだと勿体なさすぎる。

一年の終わりにこれを観ることが出来て良かった。一年の締めくくりとしては文句のない映画だった。