眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『殺しのナンバー』をみる

アポロシネマ8にて。

ジョン・キューザックスぺシャルの2本目。またしても大変地味な映画であった。が、地味な映画が好きな性分なもので、今回も大変愉しませていただいた。

乱数放送によって指示をうけて標的を始末するCIAエージェント、という設定が面白い。国家を維持する裏側にはそんな汚れ仕事を引き受けている人もいるんだろうなと思いながら見ていると、冒頭からキューザックには颯爽とした感じはなく、もうすでにヨレっている。同じCIAの人間で、失踪して、20年間にためた金でひっそりとバーをやっている男の行方を見つけ出し、始末する。秘密を知った人間を生かしてはおけないという組織の論理。やめた酒を並々とグラスに満たし、ぐっと飲み干すバーテンの覚悟が切ない。このとき店にはほかに客がいるが、彼らも抹殺される。しかしこのときひとり逃がしてしまっている。その次の殺しでは、標的を消したものの現場をその娘らしき少女に目撃されてしまう。キューザックは彼女を殺すことが出来ず、結局上司のショットガンが娘の命を奪う。という具合で、すでに精神的に参っている状態で映画は始まるのであった。

キューザックは左遷されてイギリスの片田舎に赴き、マリン・アッカーマンとペアを組んで乱数を送る側の任務につく。それまでの派手な活躍からすれば非常に退屈で単純な作業だが、彼の心は娘の無残な最後によって休まることはなく、酒を煽って無理矢理眠り、人と接することも無く、孤独に暮らすそんな日々のなか、何者かによって放送基地が襲撃される事態がおこる。といってもどう言う話か、どう展開するかは、こういう映画をたくさん見て来た御同輩には今更といったもので、どうということはない。けれども、暗い表情のままほとんど話さない節約演技としか思えないキューザックではあるが、上からの指示に揺れ動く心理状態を、あやふやな表情の中に滲ませて、さすがに雰囲気は外さない。むしろその曖昧さがどっちへ転ぶのかよく判らない不安も抱えている。いやいやキューザックがそんなことするはずないよ、とは言い切れないところがいい。

中盤は、自分たちがいない間、もう一組のペアに何があったのかを残された音声から(監視カメラは壊れている)想像し、現場を検証し、救出班が来るまでの間にキューザックに与えられた使命によって彼がどう行動するのかというギリギリの状態の、しかもほぼ二人芝居。もちろん、音声の再現パートがあるので他に5人の人間が出てくるとはいえ、ドラマを進行させるのはほぼ二人っきり。となると低予算が露骨に表れるところだが、お話はきちんと組み立てられており、監督のカスパー・バーフォードには丁寧に見せる律儀さもあり、屋外の基地周辺や駅の様子など、冬枯れの風景と空気をきちんと切り取っているのもこともあり、安っぽさは感じない。低予算ながらちゃんと作られた映画だ。こういう映画はやっぱり好きだ。

キューザックはいつも黒いスーツに黒いネクタイな気がするが、これは映画における彼のイメージなのだろうか。ま、渋いですけども。節約演技と少々けちをつける書き方をしたけれど、でもやっぱりよい俳優だと思う。何を考えているのかいまいち掴みきれない表情、うるんだような目、そしていつもよれよれになり、しかしきちんと決着をつける。このギリギリ加減の男っぽさが一種のナルシシズムのようでもあり、だがそこがいい。共演のアッカーマンの陽性さともよい対比がなされて、双方がうまく作用しあっていた。

そりゃまあ、ハリウッドの1億ドルかけた超大作みたいな面白さではないが、『コレクター』ともども、犯罪映画やスパイ映画が好きな人にはこっそりとお薦めしたい密やかなる佳品だったと書いておく。