眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『ウォーキング・デッド シーズン2』7話をみる

納屋にとらわれているウォーカーたちを、ハーシェルは病人だといって死者として扱おうとはしない。リックたちには信じられない考えだが、農場主であるハーシェルの言葉には従おうとする。外は地獄だ。出来ればここに残りたいからだ。だが、不満は臨界点を超えつつあった。銃をめぐってデールと言い争ったシェーンは銃をとり、皆を煽って納屋へ向かい、ついに錠を壊してウォーカーたちを撃ち始める…。

こんな結末になるのなら、自分たち(シェーンたち)の一方的な論理を押し付けず、そっとしておけばよかったのかもしれない。何も知らずにすんだのかもしれない。そしてまた、銃を持てば力を得るのか。世界が終ろうとしても、その暴力的な考えからは逃れられないのか。モラルを信じ、地獄であっても自分を見失わずに人として生きようするデールやリックと、生き延びるためにはそれらを捨ててしまえるシェーンのような人間。そのどちらが正しいのか間違っているのか。どちらも正しく、どちらも間違っている。明快な答えはおそらくどこにもないのだ。などと思ってしまうほど、虚しさが胸をしめつける恐るべき第7話であった。

ゾンビを殺さない、というのはロメロの『サバイバル・オブ・ザ・デッド』にも出て来た話しだ。それはそれとしても、ついこないだまで生きていた人間をゾンビ化した途端に簡単にぶち殺す人の気持ちについて言及した話ってあんまりないよね。ゾンビになればこちらに危害を加えるだけの脅威にすぎないとはいえ、姿形は今も人間そのままなんだよ。ゾンビを殺しているのではなく、あくまで人間を殺しているんだよ。そういう恐怖、またその感覚が麻痺している恐怖についてももっと語ってもらいたいものである。