眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『オスロ国際空港 ダブル・ハイジャック』をみる

スターチャンネルで録画。

監督はキャスパー・リード。

60年代後半くらいの映画と思っていたら1974年の作品。日本公開は76年。『ポセイドン・アドベンチャー』や『エアポート75』や『タワーリング・インフェルノ』などのパニック映画全盛時代とは思えない地味な佇まいなのは、イギリス映画ということもあるのだろうか。実際にはパニック映画ではなくて、ひたすら控え目な展開と過剰に走らない抑えたタッチに徹したサスペンス映画だけれども、だとしても静かな映画である。

昔はテレビの洋画劇場でちょくちょく放送されていたので目にする機会もあったのだが、何度見ても、面白くない…と思っていた。が、いい加減年を食ってからこうして再見してみると、ああ子供には確かに判らないし難しいな、とつまらなく思っていた理由が判ってスッキリした。派手な見せ場もないし、アクションもないし、話は複雑だし、しかも判り易く語っていない、という不親切な作りなのが子供には致命的だったのだ。パニック映画要素が濃いというだけでは面白がるにも限界があったということか。

今となっては、知っている俳優がショーン・コネリーしかいないので、配役的に誰が怪しいというのが掴めないので否応なくサスペンスが盛り上がってしまう。また映画の雰囲気やテンポが今とは違うので、映画の流れも掴みにくく不安な感じも濃厚。お話の展開もなかなか一筋縄ではいかず、コネリー側の対応がことごとく失敗していくのも妥協がない。実直で正当な手続きを踏んで展開していく律儀さ。次第に判明していく事件の真相というミステリ趣味もうれしい。転じてクライマックスではコネリーの、ほとんど捨て身の行動がかっこよすぎる冒険小説風味が横溢。

どんどん過剰になっていき、どんでん返しのためのどんでん返しでしかないような無理矢理な映画でないと愉しめないとする世の中からすれば、こういう映画は面白いとは言ってもらえないのだろう。が、物事には、これでいい、これくらいでちょうどいい、という按配があるものである。腹八分目の満足感というか。胃にももたれず、ほどほど満足。そういう感じが判ってきてからは、映画の見方もだんだん変ってきた。若い頃よりももっと素直に、面白がって見られるようになってきた。うれしいことだ。