眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『クロニクル』をみる

TOHOシネマズなんば・本館にて。

監督はジョシュ・トランク

やっと公開されると思ったら、都内限定という信じられない規模。が好評なのをうけ、地方からもみたいとの声が高まったこともあり、各地での上映が決定。というのだが、結局これは配給会社がリサーチしていた、ということなんだろう。まずは都内で上映、結果如何によって、地方でも出来るかどうかの判断材料とする。これからこの形の公開が増えるのかもしれない。

主人公であるデイン・デハーンの家庭環境、学校での立場は非常に危うく、理不尽な暴力と、今にも尽きようとする命との狭間にしかない。彼はそれに直面するとき、じっと受け止めるしかない。世界の片隅で泣くしかない。この作品はいわゆるPOV映画なのだが、彼がカメラを手放さない理由は、職業意識でもないし、スクープ狙いでもないし、目立ちたいわけでもない。友人もいない彼にとってのカメラは、ファインダーを通すことで自分と世界を隔てるものであり、それはつまり劣悪な環境下で、自分の心を守るためのもの…。カメラの存在と常にそれがそこにあることの意味を、登場人物の心情に重ねているのが素晴らしい。ここまでカメラを持つ者の意識をドラマに結びつけたものは珍しいのではないかと思う。

学校内でのいじめ、家での父親からの暴力は『キャリー』を嫌でも思い出す。学校のイベントで超能力を使ったショーをみせて熱狂的に迎えられる場面、パーティーでの人気者ぶりも、プロムナイトでクイーンになったキャリーの姿と重なって、そのあとにくる悲劇が予感されてなんだかいたたまれない。デハーンが、同じ超能力仲間のマイケル・B・ジョーダンから借りたスーツ姿を、病床の母親に見せる場面なんて、ちょっともう涙なくてしてはみられない。二人の笑顔が美しくて、とても悲しい。力が強大化していく中で感情が尊大になっていくデハーンの姿の中に、虚勢やためらいや純粋さが見える所もまた切ない。青春のきらめきがここにもある。その後、ささいなきっかけから、取り返しのつかない事態を招いてしまい、どんどん偏狂になっていくデハーンと彼を諭そうとするアレックス・ラッセルとの関係も酷くなっていくが、ここらはもう『アキラ』の鉄雄と金田の関係そのままだ。まさに「おれに命令するな」的な場面もある。

POV映像は臨場感を目の当たりにさせる意味合が一番強いだろうが、そういうことではこのクライマックスは凄まじい。アレックスのガールフレンドの持つカメラ(彼女がカメラを持つ意味もちゃんとある)を始め、テレビカメラ、監視カメラ、パトカーやヘリコプターの車載カメラなどの映像をつなぎ、街中で起きている信じられない状況を距離感をおいた映像でみせるのはなかなか巧みだった。アクションを撮るときには、引いた画をうまく使わないと、何をしているのかよくわからないという当たり前のことを忘れたアクション映画が未だに多い中、第3者視点を多用することで、状況の把握をさせ、客観視によるアクションの盛り上げを作るのは見事。ドラマ的には『アキラ』だが、破壊描写に関してはこれはもう『童夢』の世界。あの団地での超能力戦を思い出していただきたい。あれを再現している、といっても過言ではない。まさかここまでスケールが大きくなるとは思っていなかったので予想外の面白さでもあった。青春の苦味と苦悩、少年時代との決別、そして新たなヒーローの誕生。SFとしても青春ドラマとしても見応えのある作品。これが1000円でみられるんですよ。少しでも興味があるならすぐに劇場に駆けつけるが吉。

11月にリメイク版の『キャリー』も公開になるが、ここまで『キャリー』的な映画がある一方で、どんなふうに撮られているのかとても興味がわく。また、超能力者の対決ということでは韓国映画の『超能力者』が日本でリメイクされるが、それは『クロニクル』をどうしても意識して作らざるを得ないだろう。どんなアプローチで作るつもりなのだろう。ハードル上がっちゃったなあ。