眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『すべて彼女のために』をみる

監督はフレッド・カヴァイエ。2008年のフランス映画。

主役のヴァンサン・ランドンの表情の微妙な変化で、すべてが語られていくといっても言い過ぎではない。ダイアン・クルーガーが、ハンサムよ、という場面での彼の子供のような表情、取り返しのつかないところに踏み込んだときの表情、父と母との最後の場面でみせる涙…。一介の国語教師が、冤罪で投獄された妻を助けるために、たった一人で命がけの行動に出るという、いわば主人公の一人舞台、一人芝居的な色が強く(ほとんど出ずっぱり)、みる側は常に彼と行動をともにしているようなもの。ごく近くにいる以上、表情の変化をみつめることは当然ともいえて、だからこその顔で語る映画なのかもしれない。表情のひとつひとつに人生が詰まっている感じがして、いちいち胸を熱くさせてしまう。それは周囲の人間たちもそうであり、元脱獄囚(オリヴィエ・マルシャルなのが泣ける)がみせる表情など、ランドンに対する感情が、言葉に出さずともきっちりと現れているのが素晴らしいし、ランドンと弟、そして父親とのやりとりも同様のことが言える。さらにいえば、面会の際に、抱き合ってキスをするランドンとクルーガーの姿を、なんともいえない、本当に微妙としかいいようのない表情でみている看守の顔を一瞬みせるあたり、顔の力ですべてを描こうする凄さ、フランスの犯罪映画はそういうことが出来てしまうから凄い。それが出来る俳優がいるということでもある。

ランドンがいよいよ金策に困ったあげくの行動の無謀さと恐怖と後悔。単純に国外脱出がハッピーエンドに直結するわけではない。そこには決して心の安寧はありえない。どんな結末になろうとも、その先には血と暴力に手を染めたものの苦悩がつきまとう。映画として無茶だというのは簡単だろう。しかしそういうことは問題ではない。どんなことになっても、妻を救うという選択なのである。覚悟と決意の物語なのだ。登場人物すべてが、眼光鋭く、世界をみている。世界は誰のためにあるか、自分のため、自分たちのためにある、と信じている目だ。自分の世界は自分で守る、その覚悟を誰もが秘めているということなのだろう。

前に放送されたのを録画したのをやっと今頃みたのに、気付いたら、1月17日(金)午後11時45分からBSプレミアムで放送されます。今度は録画モード少しあげて保存しよう。