眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「怪奇!血のしたたる家」 

THE HOUSE THAT DRIPPED BLOOD
監督はピーター・ダッフェル。1971年のイギリス映画(日本劇場未公開)。

DVDで。
夏のホラー映画まつり
第1話はデンホルム・エリオットが主演。ホラー作家が、自分の書いている小説から抜け出してきた怪人に悩まされる話。怪人が本当にいるのか、それとも作家の妄想なのか。映画は妄想の方を強く取っているのだが、それゆえ、あまりにもあっけらかんと診療中の部屋に怪人が入って来るあたり、異常な怖さになっている。妄想の人物が現れたようには撮られていない。現実の人のようにふらりと部屋に入って来るのである。これは怖い。妄想とされた存在が普通に現れた瞬間の異様さは、あれ?という違和感と共に急速に高まる恐怖感となって、嫌な気持ちを抱かせる。同時に、オチにおいても、二時間サスペンスの如き展開から半歩ほどはみだしたものになっているので、宙ぶらりんの状態のまま、腑に落ちない感じが残ってそれもよかった。

第2話はピーター・カッシングが主演。何よりもこの話においては、カッシングの衣装のカラフルさ、伊達っぷりが際立って素晴らしい。街を歩こうが、森を歩こうが、川のそばに佇もうが、常にかっこ良く品があって美しい立ち居振る舞い。街中でカップルとぶつかりそうになったときの、女性に対する紳士的な対応なんてのは、実にスマート。蝋人形館でサロメの人形に出会ってしまったことが彼の運命を変えてしまうのだが、ギトギトした照明とゴテゴテして装飾の人形館の安っぽさも素敵。

第3話はクリストファー・リーが主演。わが子の扱いに困っている父親。その娘役が可愛ければ可愛いほど、恐ろしさは増すという物。無邪気な顔して悪意の塊のような少女。火を恐れるのは火あぶりの記憶ゆえか。火を恐れさせたままにしておけばよかったのに、家庭教師が少女と仲良くなってしまったために、恐るべき結末に至る。リーのおびえぶりもよろしいが、呪いによって体が痛むという場面での迫真の芝居ぶりが何よりも恐ろしかった。

第4話は、ホラー映画のベテラン俳優であるジョン・パートウィーが、自分で骨董屋で調達してきた怪しげなマントが本物の吸血鬼のそれであったために、身につけるとドラキュラのようになってしまう。鏡に映らず、牙がはえ、宙に浮かぶという場面でのパートウィーの動揺する様子が可笑しく、全体的にコメディぽさがあり、結末は救いようがないものの、どこかユーモラスな感じもある。

これら4話と、パートウィーの失踪を追いかける警部の話が、各話のつなぎとして語られていく。この家にやってきた人たちが辿る運命、というわけなのだが、不動産屋のおやじが言う、この家は借りる人の鏡のようなものだ、との言葉通り、誰もが自分の分身におびえ恐怖し、敗北していく、というまとめ方なのであった。そこのところにきちんと柱が通っているのが、如何にも端正なオムニバス映画という感じ。撮影と演出が丁寧に恐怖感をあおり描き出し、現代音楽風のセンスも拍車をかけ、加えて浮ついたところのない俳優たちの芝居。きちんと語る、語られる怪異譚。こういう映画を年に一度はみたいものである。


ちなみに現在発売されているDVDは、↑の予告などとは比較にならないほどきれいになっている。あと字幕はないけれど、全編Youtubeでみられるね。