眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒(1999)

監督は金子修介

前にも書いた気がするけれど、重要なことを、台詞だけで済ませている。その台詞を聞き逃がしてしまうと、どうしてガメラとギャオスという存在があるのか、古代文明は何故彼らを作ったのか、そして山咲千里手塚とおるが、この一件に深くかかわっている理由が見えにくくなる。これが結構、映画としては致命的な失敗だったのはないか。公開当時、途中からよくわからなくなったことを思い出す。台詞が、描写の説明になってしまうことを避けたのかもしれないが…。でもまあ、それから何度も、テレビでやる度に見返しているので、ようやく、彼らの役割について、納得することが出来た気はする。

手塚とおるは悲観的な運命論者めいたところのある破滅指向の強い人物。如何にも世紀末な感じ。山咲千里は、元々は彼女の先祖がギャオスを作ったのではないか、という台詞があるが、その台詞が出た途端、京都に運ばれた前田愛の様子を見に来る千里の描写が物凄く意味のあるものになる。前田愛に寄り添うようにして眠ってしまう所も、彼女と一体になりたいという気持ちの表われだったろうし、クライマックスで勾玉を奪い取るところ、手に掲げて祈りを口にするところ、その勾玉が光るところと、千里の気持ちを思うとき、今までとは違った面白さが見えて来る。世界を破滅に導くために生きて来た人、という存在。それが横から入って来た少女にその役割を奪われてしまった。絶望と嫉妬。前田愛が戦意喪失したあとに、わたしにも出来るとばかりに勾玉を手にする千里の姿には、もう生きていてもこの先に意味がないと悟った者の覚悟がみえるようで、なんとも辛い。その悲劇性の中で、山咲千里の美しさが異様に輝く。素晴らしい。

前田愛がやったことは、赦されないことだが、映画は赦している。自分の人生の方が、世界の幸福よりも重い。当たり前だが、それが行き過ぎるとこうなってしまう。彼女の最後の「ごめんなさい」は心からのもので、それは世界を破滅させたことを、赦すだけの価値のあるものなのだ、と。あれだけの被害と悲劇があっても、それを生んだ者が心から後悔するのなら、相殺されるくらいの意味がある。でも世界は(映画は)彼女を赦しても、自分のことは赦せないだろう。彼女は一生、それを背負って生きていかなければならない。重い重い十字架を背負って。

特撮映画としては、かなり高レベルなものだな、と改めて。合成も素晴らしい。CGの空中戦とかはちょっと辛くなっているが、ミニチュア特撮映画としてはもう完成されてしまってる。渋谷の大破壊も、京都駅も、ああえらいことになってる!というスケール感がちゃんと出ている。ミニチュアであることは認識しながらも、そのカタストロフがきちんと伝わって来る。完成されている、と書きながらも、いやまだ出来ることがある、とも思う。更なる高みが望めると。それはきっと「進撃の巨人」で明らかになると思います。