眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

ミステリ映画の大海の中で


小山正・著/アルファベータ
ジャンル映画の本は色々あれども、ミステリという枠でこれほど充実したものは、最近ではなかなかないのでは…と思いつつ読んだ。分厚さに圧倒されるけれど、さらりとした文章は読みやすく、見かけほど難敵ではない。ミステリ作家たちが参加した映画作品を順序立てて紹介しつつ、それが小説と作家本人にどのような影響を与えたのかを考察する「映画が語るもうひとつのミステリ史」。ミステリというジャンルは、小説だけでは語りきれない、映画にも(またテレビにも)その歴史の重要なポイントが記されているのだ、ということ。こうしてまとめて読むと、フィルムノワールにも別の映画史観が生まれて来ますな。今となっては壮観ともいえる作家たちが、映画に取り組み悪戦苦闘し、その結果、歴史に残る小説を物したのだなあ、となんだかしみじみともします。

ミステリ映画とミステリ小説の間を繋ぐ存在としては、瀬戸川猛資石上三登志の両氏が、わたし個人にとっては大きいが、今やそのお鉢を継ぐのは、小山氏しか他にいないだろうと思いますね。それは特に後半の「21世紀ミステリ映画鑑賞記」によく表われている。SFでも、アクションでも、重厚なドラマでも、またどんなにマイナーであっても、ミステリであれば分隔てなく取り上げる。このブレのなさ。そのため、中古DVD屋で投げ売りされているようなタイトルの映画が紹介されていたりするのである。えっ、あれが?という驚き。いい年して、未だに、枠組みに囚われて自分の目で映画をみていないな、と思わされる。そう、自分の目で映画をみる、という姿勢が、瀬戸川、石上、両氏の姿勢だったのである。誰も顧みない作品を、自分の基準でみて面白いと思う。そして、その判断に責任を持つ。他人の目を意識した見方では、決してない。自分に正直であろうとする姿勢なくして、どうして愛情を持って語れるのか、ということですよ。読みながら、そんなことを思った。襟を正す、そんな気持ちになりましたよ。しかも、その紹介が、他の作品や、小説と実はリンクしていることまでフォローしてあったりするのが素晴らしい。ちょっと気になったことが繋がって、世界が広がっていく愉しさ。ミステリ映画に特化しているはずなのに、どんどん他のジャンルにも広がっていく。個々のジャンルは、それだけで存在しているのではない。枝葉を広げ、根を張って、さまざまなジャンルとクロスオーバーしているのである。映画をみたり、本を読んだりって、そういうことが愉しいんだよ。ひとつのことにこだわることは重要。だけど、そこに固執すると、全体を見渡すことが出来ないし、本質を見誤ることにもなりかねない、ということです。しかしこんなふうに読んで、見ていくと、これはもう、終わりがないよね。果てのない、夢の世界での遊戯のような、実に幸福なガイド本。

ミステリ映画至上主義にクラクラっと来たのは、ダニー・ボイルを「当代きってのミステリ脚本家」と書いているところ。ダニー・ボイルをこんなふうに紹介した人は、日本では小山正だけなんじゃないだろうか。あと補足を勝手にするなら、「極楽島殺人事件」の項の追記で、「最終兵器 弓」は現時点で日本未公開となっているが、「神弓」のタイトルで2012年8月に公開されている。奥付では2012年10月31日が第一刷となっているから、ギリギリ間に合わなかったのかな。