眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「猿の惑星(68) 感想

簡単に感想を。

ひさしぶりにみた。色んな見方があると思うけれど、異文明、異文化、異人種と触れたときにどう対応するか、という話しだと思った。

ザイアスは人類がかつて地上の覇者だったことに気付いているけれど、異端審問の場では他のオランウータンたちはそんなことについては想像をめぐらす気がない。あり得ないことだと思っている。端から人間は下等な生き物だと思っているし、まともに話しを取りあうつもりがない。しかしこれが人間と猿ではなく、人種の違いならどうなのか。こんな相手を認めないやり方があっていいか。

一方のチャールトン・ヘストンも、怒り、反発するのは当然とはいえ、こちらもこちらで猿を下等な生き物だと思っている節が窺え、決して観客の気持ちを100%乗せられるような好人物ではない。そこがよい。偏見のぶつかり合いはどういう結末を迎えるか…。猿と人間に置き換えられているけれど、そういう話しだった。

結局、人種の壁を乗り越えるのは、個々の存在についての信頼と感謝しかない。そういう形でしか、壁は越えられないんだろう。その瞬間を、猿とキスをするという描写にするところが、今みても凄い。頬ではなく、口へのキス。感謝以上のものが込められている。ジーラの表情には照れがあるが、困惑もある。テイラーにもジーラにも、恋愛感情があるということである。異人種間の恋愛と思ってみれば、「人と猿が?なんておぞましい」と思う心には、偏見への目が根付いているということかもしれない。自分はどう思うのか、よくよく己の心を顧みたいところである。差別なんてしないよ、という気持ちは、実は浅はかな思い込みでしかないのかもしれない。

テイラーが猿の前で初めて喋るところは、「ジェネシス」でシーザーが初めて喋るところに重なるんだなあ。なるほど。