眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

(たぶん)14インチのブラウン管テレビ

ずいぶん前のことだが、知り合いが、14インチのブラウン管テレビを捨てると言った。その頃は、プレイステーションなど旧型のゲーム機が、不穏な音を立てながらも現役だった。自分の部屋で遊ぶ分には、これくらいがちょうどいい、と思い、小さなテレビを貰い受けたのである。それからずっと、ゲーム機専用として、たまに使っているのだが(今もプレステとドリームキャストが健在である)、先日(といってもこれもちょっと前だが)、VHSデッキをもらった。これも同じ知り合いが、捨てようと思ってるんだけど…というので、それなら譲ってくれ、と申し出た。VHSデッキはもうかなり前に故障してしまい、うちにはなかった。ない以上はビデオテープを持っていても仕方ないので、結構な数を処分したのだがしかし、全てを捨てる踏ん切りはなかなかつかない。押入れの中には、おおよそ200本、あるいはそれ以上のビデオテープが眠り続けている。新しいメディアに移すにしても、ビデオデッキは必要なので、ずっとほしいと思っていた。なので、これは渡りに船、というやつである。

たまにテープを掘り出してきては、14インチのテレビで、ぼんやりと眺めるのである。最近だと、「快盗ルビイ」をみた、という感想も書いた。画像はあまりよくないが、みられないというわけではない。いまどきの再生機しか知らない人は辛いかもしれないが、ビデオデッキが世に浸透する時代をみてきた我々は、まあ平気だろう。標準録画(3倍でもだが)したこれらのテープを、大切にしていた。この程度の画質のものを、必死になって録画していたのだ。そして思うのである。いや、これで充分なのではないか、と。ぼんやりとみている分に、何の問題があるというのだろう。高画質であることは、それほど重要なことだったのだろうか。きれいな画質で見られれば、それに越したことはない。否定はしないし、うれしい。だが、ぼんやりしたVHSの画像が過去のものとして忘れ去られるのは、どうにも勿体ない。

「月曜ロードショー」から名前も曜日もかわった「ザ・ロードショー」で放送された「クリッター」を録画したものが出て来た。番組がまるまる入っている。荻昌弘さんの解説も、CMも。88年3月8日。あの頃の空気が一気に甦る。しみじみと、ああ、これで充分だったなあ、と思うのである。14インチのブラウン管テレビとVHSデッキ。本当に、新しいものは必要なのだろうか。必要だったのだろうか。