眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

ウォーキング・デッド シーズン3をみて

盛大にネタばれしています。






終盤、印象的なのは、アンドレアの行動と死だった。彼女は、ウッドベリーと刑務所、双方の板挟みにあって苦悩する。シーズン2では、生き延びるためには、強硬な手段に出るのも仕方なし、な立ち位置だった。諦めてしまった人だった、と言ってもいいかもしれない。が、デールを失い、シェーンもいなくなったことも影響しているのだろう、今回は、極端な結論に向かうそれぞれのリーダーを懐柔し、無益な戦闘を避けようと奔走する。この戦いの意味のなさは、ほぼ全員が理解している。リーダー同士の話し合いの場。外ではダリルとマルティネスが、あからさまに敵愾心をむき出しにしている。が、俺の方が腕のいい戦士だとばかりに、競い合うようにウォーカーを倒して行ったあとには、手にいれた煙草をくわえながら、これまでの、それぞれの経緯に共感する。そして、話し合いは無駄だ。結局、戦うことになる…と確信してしまっていることも語りあうのである。戦いたくはないが、避けられない。アンドレアは話しあいのきっかけを作ったにもかかわらず、その場からは弾き出される。彼女の考えも、総督の異常さも理解しているはずのミルトンですら、非協力的で、とにかく彼女の行動は徒労感がつきまとう。刑務所に行けば、もはや裏切り者のような扱いとなり、街に戻っても、既に心落ち着く所ではなくなっている。誰も死なせたくないという彼女の思いは、最後の最後まで空回りし続け、戦闘は起こってしまう。現実世界でも、そうなのかもしれない。戦争を回避したくても、それが無意味な戦いと判っていても、動き出したものを止めることは出来ない。世界は見渡す限り、一面、絶望しかない。希望はその先に、見えないほどの彼方に。…あるのかどうかも判らない。そんな無常感に支配される。
ミルトンという名前から明らかなように「失楽園」が、シーズン3のベースにはある。誰が神なのか、誰がルシファーなのか。そしてアダム(人間)は。総督に抗い、死んでいくミルトンとアンドレア。その総督が凶行の末に、茫然とした様子で、去っていく姿。エデンはウッドベリーなのか、それとも刑務所なのか?死んだローリが、リックの周りに現れるが、あれは霊ではなく、悪魔か、天使か、なのかもしれない。
ローリの死後、かかってくるはずのない電話を、リックが受ける場面がある。電話の向こうからは、安全な場所があると言われる。会話の相手は、既に死んだ仲間たち。リックの妄想のようだったが、果たしてそうだろうか。ここではない別のどこか…。天国か、楽園か。それは本当にあるのではないか?終盤、メルルが気絶させたミショーンを刑務所の外に連れ出す場面。メルルは何故か、電話をかばんにつめこむという不可解な行動を取る。メルルもその声を聞いたのではないのだろうか。電話の向こうに、何か別の世界があると、彼も知ったのではないか。だから電話を持って行こうとした。知ったからこそ、あの最後の決断をしたのかもしれない。ならば、メルルは無事に、あちら側に辿り着けたのだろうか。そこでは、ダリルのいう、昔のメルルに戻れただろうか。