眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

エクスペンダブルズ3 ワールドミッション(2014)


THE EXPENDABLES 3
監督はパトリック・ヒューズ。
↑なんだかもうエグザイル並に人数が増えているが…。
次世代アクションスターが育たない悲しみ(前作の感想でも書いた→http://d.hatena.ne.jp/sombrero/20121117/p2)。が、嘆いていてもしょうがない。それよりも一歩前に出るぜ、とばかりに、それなら俺が作ってやろうじゃねえか、明日のアクションスター!と、スタローンが奮起した(ように見える)、そんな内容なのが素晴らしい。若手4人をスカウト、新生エクスペンダブルズとして敵地に乗り込む中盤は、事前情報をほとんど入れずにみたせいで、意外な展開として面白かった。考え方も行動もロートルなスタローン、とにかく突っ込んで撃ちまくればいい、という大変アバウトな計画に、首を縦にふらない4人の様子が可笑しい。今風(でもないんだけど…)な、「ミッション:インポッシブル」的な突入作戦を提示されて、お、おう、じゃあそれでいこうか、というスタローンもまた可笑しい。この辺、なんとも余裕のやりとり。後半はオヤジ軍団が見参するのだが、それも合わせて、喰いつめ者のアクションスター、まだまだスターとしてものになるかどうかも判らない若手たち、双方に対するスタローンのスタンスに、余裕がありまくりな感じで、そのスケール感が透けて見える(気がする)。オヤジのわがままも、若手の青い意見も、うんうん、と聞いて、そうかそうか、と笑顔で納得しているのが見える(気がする)。そして、それを大真面目に受け入れている。だからこそ、映画としては少々ゆるめの出来栄えであっても、奇妙なほど、多幸感に包まれているのだろう。いやむしろ、このゆるめの感覚こそが、出演者にも観客にも、切羽詰まらない感覚を与えて、幸せな気持ちをもたらすのではないだろうか。取り組む姿勢は真面目でも、その先にあるのは、あんまり真面目になり過ぎんなよ、というメッセージかもしれない。そんな勘違いをしたくなるほど、愉しい映画。
娯楽としての殺戮は、勿論許容する立場だが、今回は指定を大幅に下げたことで、血の噴出や人体破壊描写がほとんどなくなっている。それがコアなファンから不評であるとも聞くが、アクション映画が、バイオレントである必要はない。まして往年のアクションスター総出演の祝祭イベント映画としては、それは二の次、三の次の話しではないかと思うのだ。アクション映画の、陽性のエンターテインメント部分に向いた映画に、むやみな血のりは不要だと思っている。個人の夢想としては、子供も愉しめるアクション映画を目指して欲しい。親子で愉しむアクション映画。小さな子供たちがアクションに素直に反応出来るような映画。そこから、次代のアクション映画観客を作っていってもらいたい。
何の罪でつかまったんだ?と聞かれたウェズが「脱税」と言ってしまう自虐ギャグの破壊力。ウェズの軽々とした身のこなし(スタントダブルだろうけど)をみていると、ああこの人は「追跡者」でロープにぶら下がってビルの屋上から列車に飛び乗った人だったなあ、と思いだす。クライマックスの廃墟内では、蹴りが健在であることを見せつけるショットもあり、その姿はまさに「ブレイド」!一方でやたら口が達者なアントニオ・バンデラス(今回、一番いい役だったのではないだろうか)が一瞬みせる二丁拳銃!「デスペラード」健在!煙突の間をヘリコプターの超絶操縦でぬうように飛び、敵機を撃ち落とすハリソン・フォードは、ハン・ソロがあったればこそ(本人も実際にヘリに乗る)。スタローンは、崖を登る若手の軽業をみて、「俺にも出来る」と、にやり(「クリフハンガー」だ!)。今回は出ないのかな?と思っていたジェット・リーの、終盤でのささやかな、されども嬉しい参戦。若手はさすがに皆、身のこなし軽く、活きのいいアクションは若者がやった方が冴えるのは、こればっかりはしょうがない。ロートルにはロートルの、したたかさと重量感で対抗すればいいではないか。そして最後は、スタローン対メル・ギブソンの直接対決!拳でドツキあうさまの迫力よ。夢のような映画だった。3作目にして、その思いを新たにした…というより、そういうところに、映画が辿りついたのかもしれない。
そのあとに続く、エンディングがこれがもう、本当にゆるゆる。だが最高にうれしいところ。全員が憎めない、愛すべき人間に思えてくる。次も決まっているそうだが(ピアース・ブロスナンが出るって!)、また彼らに会えることを愉しみに待ちたい。