眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

吉原手引草


松井今朝子・著/幻冬舎
吉原で人気の絶頂を極める花魁、葛城が失踪。一体、彼女の身に何があったのか。関係者の証言から、事の真相が見えてくるのだが…。
吉原というと、大体のイメージは湧くが、実際のところ、どんなシステムで、どういうところだったのか、というのはよくわからない。ストレートな読み物とせず、関係者の証言をまとめるルポルタージュ風に進められるのだが、当然、相手は、吉原の人間である。彼らは自分の仕事と葛城とのかかわりを話して行くので、吉原のもろもろの詳細を順を追って説明することにもなる。勝手の判らない者にとっては、まさに吉原入門でもある。この部分がまず何よりも興味深く面白い。引手茶屋の内儀、店番、番頭、新造、遣手、床廻し、幇間、芸者、船頭、指切り屋、女衒…。他にも酒問屋や縮問屋や札差の主人など、さまざまな人々の証言で、葛城という花魁の実像に迫っていく。
凛として美しく、利口な上に度胸も座っている。その一方で子供のように見えるところもある。特に気になるのは、命にかかわるやもしれぬ状況でも、恐れない…というよりも、そうなればなったでかまわないといった、どこか捨て鉢な雰囲気。これは一体何なのか…。その引っかかりに釣られて、どんどん読まされる。が、どんでん返しや意外な真相にポイントがおかれているわけではないので、それほどミステリ趣味濃度が高いわけではない。不穏な空気が広がっていく終盤の盛り上げ方にこそ、ミステリ小説としての面白さがある。徐々に真相が形を見せるさまがスリリング。下世話な興味もぐいぐいかき立てる。
誰もが、なにがしかの嘘を纏っている。本当の自分ではない、別の姿を隠し、演じている。吉原の、一夜(人世)の夢は、舞台と同じ。皆、二枚目と、美女と思って舞台に上がる。ここであってこそ生きる曖昧さであり、儚いロマン…。夢だからこそ、嘘も許される。その夢の向こう側に消えていく、葛城。彼女を通して、誰もが、遠い日の何か、過ぎし日の己の人生を、ふと思い出す…。
証言する人々の語り口調が、とてもテンポよく、リズミカル。これは、著者がかつて松竹に勤務し、歌舞伎の企画・制作に携わったことと無関係ではないのだろう。台詞言葉というか、話し言葉というか、口に出して生きる語りになっている。つまり、朗読に向いているんです。批判的な意見に、キャラクターの描き分けが出来ていない、というのをちらほらと目にしたのだが、そう思うのなら、朗読してみればどうか。一度読めば、どういうキャラクターかは判っているのだから、それを踏まえて朗読してみるといい。途端に生き生きと立ち上がるから。それに、江戸言葉というんでしょうかね、時代劇言葉でもいいが、こんな喋り方、普段絶対しないから、声に出して読むと、すごく気持ちいい。本を読むというのは、黙読だけでなく、朗読という愉しみ方もあるんだなあ、と改めて気付かせてもらった。それもうれしいことである。